第38回大会(成城大学)「テーマ部会」
▼テーマ部会 I:東欧の変動と現代社会主義 ―ポーランドとハンガリーの場合―
▼テーマ部会 II:ジェンダーと社会参加
▼テーマ部会 III:現実から理論へ -モダニティを問い直す-
▼テーマ部会 IV:日本社会と国際結婚 ―生活者、労働者から見た変革の意味―
テーマ部会 I:東欧の変動と現代社会主義 ―ポーランドとハンガリーの場合―
報告者および題目
現代社会主義の終焉
岩田 昌征 (千葉大学)
ハンガリー改革の世界史的意義
深谷 志寿 (日本ウラル学会理事)
討論者:庄司 興吉
司会者:笠原 清志
部会趣旨
笠原 清志
ソ連、東欧諸国における変革の波は、一段と大きなうねりとなって拡大しつつある。今日では、冷戦構造の象徴的存在であったベルリンの壁も取り払われ、ヤルタ体制も含めた東西関係が根底から変わろうとしている。このような社会主義国における変化を前にして、資本主義の体制としての勝利を主張する立場、あるいは社会主義自体の失敗ではなく「ソ連型社会主義」の失敗であるとする立場もあり論壇をにぎわしている。
マルクス主義や社会主義の理論は、世界の政治、経済、そして思想面において、大きな影響力を与えてきた。この意味において、現実の社会主義制度は、「20世紀の壮大な歴史的実験」と言われてきた。しかし、この実験に対しても、それなりの結論を準備してもよい時期にきていると思われる。当部会では、今日のソ連、東欧諸国の変化を把え、現代社会主義の再検討を目的とする。第1年目の今年は、東欧諸国、とりわけポーランドとハンガリーのケースに焦点をしぼり、歴史、文化そして産業化との関連で従来の社会主義制度を検討する。
第1報告
現代社会主義の終焉
岩田 昌征 (千葉大学)
(1) 同位対立時代から“今”資本主義へ
【図】(省略)
旧著において上図の現代の矩形の左方が開いていた。1989年東欧革命は、それを閉じた。
(2)デザイン主義的社会主義建設の生命力涸渇
大政奉還としての東欧市民革命を考える必要。従って市民社会の伝統が希薄なアジアにおいて大政奉還の相手は、官僚エリート社会である可能性が大きい。
(3)集権制計画経済から資本主義市場経済へ
未成熟な市場主体のデザイン主義的速成養成という歴史の皮肉、それにともなう私有者のレジティマシー不足。
第2報告
ハンガリー改革の世界史的意義
深谷 志寿 (日本ウラル学会理事)
昨年の東欧の激変は20世紀後半でもっとも劇的な事件と言えるだろう。特に今回の東欧の一連の変革は日本ではほとんど注目されてこなかったハンガリーに識者やマスコミの目を向けさせることになった。
本報告ではハンガリーの“変化”は実は1989年に突然起こったのでも、ソ連のペレストロイカやポーランドの連帯運動に触発されて起こったのでもないこと、同時に東独・チェコスロヴァキア・ルーマニア(そして来るべきアルバニア)の変革の直接的な原因となったことを考察して行きたい。
1989年は他の東欧諸国にとって改革元年だったのとは違い、見かけは似ていようとも、それまで20年以上にもわたって延々と続いてきたハンガリー改革がゴール・インした年であった。またそのハンガリーの改革における“党内”改革派の役割、中でも直接的に東欧共産主義体制崩壊ドミノの引き金を引いたポジュガイの役割に光を当てる。(ゴルバチョフは今回の“ドミノ”の引き金を直接引いたわけではなく、“パンドラの箱”を開けることによってドミノ現象の“環境整備”の役を担った。
本報告ではハンガリーの改革の経過をたどるとともに、今後の方向を予測する。また最後に“門外漢”から見た日本における東欧研究の問題点を指摘したい。
報告概要
笠原 清志 (立教大学)
社会主義部会では、その一年目として「東欧の変動と現代社会主義」というテーマで行われた。昨年の夏、ポーランドで共産党(統一労働者党)政権が事実上崩壊したが、今日では冷戦構造の象徴的な存在であったベルリンの壁も取り払われ、ヤルタ体制も含めた東西関係が根底から変化しようとしている。この意味において、時機をえたテーマであった。報告は、岩田昌征「現代社会主義の終焉」、深谷志寿「ハンガリー改革の世界史的意義」の二つであった。
岩田報告は、社会主義は新しい社会を意図的に作り出すという発送から出発した点に特徴があり、現代の社会主義はその思想的、歴史的実践の生命力を使いきって自壊したことを明らかにした。したがって、東欧諸国の今後の体制選択の幅も狭く限られたものであることなどが報告された。また、深谷報告は、ハンガリー改革におけるイムレ・ポジュガイの役割と今日の諸問題が明らかにされた。そして、この改革が、ゴルバチョフのペレストロイカの結果ではなく、それに先行した諸々の試みの結果、生じたことも報告された。
討論者である庄司興吉は、岩田報告を基本的には認めながらも、今後は社会学的視点からも社会主義の問題を明らかにしていくことの必要性を指摘した。また、質問者からは、本来の社会主義思想と現代社会主義とを区別して論じることの必要性が指摘された。
当部会は、今日的テーマであったにもかかわらず、若手研究者の参加が少なく、社会学的立場から社会主義の問題を論じることの難しさを改めて示したとも言える。
テーマ部会 II:ジェンダーと社会参加
報告者および題目
育児ネットワークと育児サポートシステム
舩橋 惠子 (桜美林大学)
社会参加の一形態としての市民運動
高田 昭彦 (成蹊大学)
主婦の社会参加と生活変容
-<生活クラブ生協>の組合員調査から-
山嵜 哲哉(早稲田大学)
討論者:山田 昌弘・坂本 佳鶴恵
司会者:直井 道子・森岡 清志
部会趣旨
直井 道子
この部会では、市民運動、生協活動、(職業)など社会参加の多様な形態の中でジェンダーがどのような意味を持つかを考えていくことを企画した。女性に関する報告が主となるが、男性も視野に含めて議論したい。その材料として、(1)参加の多様な形態・・・職業以外にも地域活動、生協活動やその発展としての議員活動など。(2)参加動機とその発展・・・経済的要求、家族の安全、自己実現、社会改革 (3)参加の障害と障害を克服する手段・・・活動参加後の家族の態度変化、育児ネットワークなどに関する報告がなされる。具体的な事例を通じて、特に職業を通した社会参加とそれ以外の社会参加の相克、それぞれの意義と限界、その中でのジェンダーの意味などの議論が起こることを期待している。
第1報告
育児ネットワークと育児サポートシステム
舩橋 惠子 (桜美林大学)
産育は、社会の視点からは公共的な人類再生産という側面を持ち、個人の視点からは私的なひとつの出来事・生活の組織化という側面を持つ。したがって、産育に関する諸問題の解決は、社会によって保障されなければならないのと同時に、個人の選択の自由にも任せられなければならないのである。このような一見矛盾に満ちた産育の諸問題を、その両方の側面からとらえ、公共性にも私事性にも還元しない第三の道として、個々の家庭を核にして育児を組織化する育児ネットワークの形成と、それを社会的に支える育児サポートシステムが考えられる。現代女性の社会参加の形の多様性(職業、地域、社会運動など)に見合って、それを可能にする育児ネットワークと育児サポートシステムのタイプも多様なはずである。
当日の報告では、ヨーロッパ特にフランスの保育制度・育児保障制度・育児の実態を紹介しながら、日本の現状と絡めつつ、育児ネットワークと育児サポートシステムの諸類型、それらの発展の可能性・諸条件・困難な点などについて、具体的に検討したい。そして、現代における専門家の役割や育児関連産業の功罪についても、あわせて考えたい。
キーワードは、「育児ジェンダー」「子育て縁」「精神的支え」「定常的保育と緊急保育」「育児文化」「慣らし保育」「育児保障」「受容的態度」などである。
第2報告
社会参加の一形態としての市民運動
高田 昭彦 (成蹊大学)
「社会参加」とは1960年代に始まる「参加革命」の影響を比較的受けなかった社会層の社会的に意義を認められた活動への参入のことを指し、特に女性に関して言われることが多い。すなわち女性が家庭以外の生活領域、例えば地域、職業、政治、レジャーなどに活躍してくる現象を指している。そのどの領域に焦点を絞って分析するかは研究者の問題関心によるが、ここでは社会変革に通じる「社会参加」、具体的には草の根の市民運動への参加を問題にしたい。
そのような市民運動には3つの特質が考えられる。すなわち実現を目指す基本的な価値の面においてはオルターナティヴ性、組織面ではネットワーク志向性、運動主体においては生活者というものである。それを今回は武蔵野市において具体的に見てみよう。
武蔵野市の市民運動の中で上記の3特質を備えていると思われる運動の限定は、市内の中心的活動家7人へのインタビュー、および趣味とスポーツ団体を除く市内の市民運動団体への郵送調査の回答から判断した。そのうち調査可能な30団体を抽出しその中心的活動家にインタビューを行った。このデータから彼らの市民運動への参加を考察したい。具体的には参加(活動の開始)の動機、活動の目標、活動上の問題点、活動の発展=ネットワーク化、「繋がり」の特質、自己の内面の深化などを問題にする。ここには少数ながら男性の活動家も存在するので、男性の社会参加の条件についても合わせて考えていきたい。
第3報告
主婦の社会参加と生活変容-<生活クラブ生協>の組合員調査から-
山嵜 哲哉 (早稲田大学)
今日の日本社会の性別役割分業の実態を考慮に入れて、「ジェンダーと社会参加」というテーマを顧みるならば、おそらく、その希望的展望は「男性の家庭及び地域生活へのさらなる参加」と「女性の職業及び地域生活へのさらなる参加」という視点に定位することができよう。本報告では、この後者の文脈において、「女性の地域参加」、とりわけ、家庭に埋没しがちな専業主婦たちが私生活(家庭)を基盤としながら、地域社会のあり方を変革していった事例を、<生活クラブ生協>の活動に関する7回に渡る調査データをもとに検討してみたいと思う。
同生協は、専業主婦層による生活資材の班別予約共同購入を母胎として、独自の地域ネットワークを形成し、過去20余年にわたって様々な地域活動を組織化してきた。そして現在、東京・神奈川・千葉の3都県において30余名の地方議員を組合員自身の<代理人>として送りだしている。
報告では、同生協の特質と組合員の基本的属性を概観した後、「安全で品質の良い品物を求めて」同生協に加入した主婦たちが、地域社会に積極的に関わる主体へと生き方を変えていった過程を、生活変容の基本的パターン、疎外要因、今後の問題点と可能性といった観点から考察する。
報告概要
直井 道子 (東京学芸大学)
生協活動や地域活動を、主婦としての生活に根ざした女性ならではの望ましい社会参加のかたちとみるか、夫に経済的に依存したままでの活動には限界があるとみるか、いづれにせよ、女性は女性なるがゆえに、男性は男性なるがゆえにとりやすい社会参加の特定の形があり、それぞれに意義と限界があるのではないか。この部会ではこの問題を具体的な材料をもとに議論することを意図した。
報告で、舩橋恵子氏(桜美林大学)は女性の育児負担によって男女の不平等が再生産されていくことを「Childcare Gender」と名付けた。これを克服していく方策として、フランスの保育制度や保育の実態を例にあげつつ「産育」のコストを社会的費用として保障していく方向への発想の転換を求めた。これを克服していく方策として、フランスの保育制度や保育の実態を例にあげつつ「産育」のコストを社会的費用として保障していく方向への発想の転換を求めた。
山嵜哲哉氏(早稲田大学)の報告は、戦後日本における「私化」からの解放の契機とジェンダーとの関連を探ろうとした。そして、生活クラブ生協の数回に及ぶ調査から、「家族に安全な食物を」という主婦としての「私的な」関心が、活動の中で運動の理念を内面化し、社会改革としての意識に変化していく過程を報告した。
会場での議論は、育児保障や生協活動によっても社会での性役割は変化していかないのではないか、という点に集中した。二つの発表は「私的」と俗に言われる営み(育児、家族に安全な食物を食べさせたいための共同購入)の中に実は私的価値を脱していく契機があり、そこにジェンダーの問題をとく鍵があることを示したが、またその限界を示したともいえよう。議論がそれ以上に発展しなかった一因は、男性の社会参加に触れる報告がとりやめになったことにもあろう。男性の社会参加の意義と限界に関する話題があれば、もう少しジェンダーの本質に迫る議論が展開されたかもしれない。
テーマ部会 III:現実から理論へ -モダニティを問い直す-
報告者および題目
環境-社会システム論の構想
井上 孝夫 (法政大学)
対抗的社会運動の中の優生思想
-ルサンチマン論の視角から-
井上 芳保 (茨城大学)
二つのフェミニズム
吉澤 夏子
討論者:寺田 良一・立岩 真也
司会者:舩橋 晴俊
部会趣旨
舩橋 晴俊
今年度の理論部会では「現実から理論-モダニティを問い直す-」という共通タイトルのもとに、井上芳保氏「対抗的社会運動の中の優勢思想-ルサンチマン論の視角から-」、吉澤夏子氏 「二つのフェミニズム」、井上孝夫氏「環境-社会システム論の構想」という三報告が行われる。本部会は、理論研究の源泉としては学説史的検討と同時に現実の具体的問題の研究が不可欠であるという方法論的選択と、「モダニティを問い直す」という主題についての選択にもとづいて企画された。三つの報告は、それぞれ障害者問題、女性問題、環境問題と密接な対応関係を持つが、各報告は一つの問題に閉塞するものではなく、相互に浸透し、これら以外の他の諸問題への広がりをも持つものである。近代の社会システムの在り方を批判的に把握するために戦略的な視座を提供するこれらの問題を手がかりとして、モダニティの抱える問題性を検討していきたい。
第1報告
環境-社会システム論の構想
井上 孝夫 (法政大学)
私は現代日本社会における開発-環境問題について実態調査を行っている。そこから得られる社会理論上の含意として、次の点を指摘したい。
環境と社会とのあいだの相互関係を捉えるために、環境-社会システムを設定したい。このシステムは、(1)自然主体の生態系、(2)人間主体の生態系、(3)情報系から構成される。「文明」とは(1)に対する(2)の優位性の拡大であったが、現代は(3)の発達(情報資本制の成立)によって、全地球的規模に開発行為が及び、様々な環境問題を引き起こしている。
では、この事態をどのように捉えるべきか。その説明の一例を挙げてみよう。まず現代社会は開発(自然破壊)によって雇用を生み出し、社会統合をはかる社会だということを確認しておこう。その過程で「土建国家」が形成されてきたのであった。しかしいまや(3)の発達によって、自然の商品化がより一層すすみ、俄かに「リゾート開発」が活発になってきた。私はこの段階を「流通-土建国家」の成立と命名したい。現代における開発と環境をめぐる社会的対立は、この流通-土建のメカニズムに乗って開発をすすめようとする側とそれを対自化して克服していこうとする側との対抗ということができる。そしてこのように捉えることによって少なくとも、環境破壊の社会的メカニズムとそれを克服する環境保全運動の論理とを導くことが可能となるだろう。
第2報告
対抗的社会運動の中の優生思想 -ルサンチマン論の視角から-
井上 芳保 (茨城大学)
いかなる社会であれ資源の稀少性の制約がある限り、競争は何らかの形で存在するが、モダンという社会システムではそれが敗北の責任を個人に帰属させ「結果の不平等」を正当化する機能を有した制度として多用されるため人間に敵対するものとなりがちである。市場経済と官僚制の複合システムによる生活世界の植民地化が容赦なく進展する現代日本社会はまさしく競争社会であり、その外部不経済として産出される敗者の醜悪な感情の処理装置の需要は増大している。否定的な情動現象を誘発する情報群の操作によるソフトな管理社会化の進行こそ心の時代、生涯学習の時代の本質に他ならない。対抗文化が次々と全体文化の中に吸収されていく事態もこうした脈絡で把握できる。「自然」「やさしさ」「感性」「女性」etc.モダニティの外部に位置する諸価値を復権させようとする対抗的 社会運動の分析にもかつてアドルノが楽師音楽の中にルサンチマン型聴取者を見い出したのと同様の視角が必要となる所以である。一部の自然食普及運動やことさら母性に訴える形の反原発運動で奇形児の生まれる危険性が強調されたり、「障害者」や老人を排除しようとする迷惑施設反対の住民運動が成立したり、或いは昨今の美人コンテスト批判の一部の潮流において競争の一切を差別であるとして否定し去る言説が出現するといった事例について「優生思想」概念を操作的に用いながら知の救済材としての消費形態という観点から考察する。
第3報告
二つのフェミニズム
吉澤 夏子
フェミニズムの思想の全体は、二つの対照的な潮流を両極においた、諸潮流の複雑な絡まりあいとして描き出すことができる。一方には、フェミニズム思想の本流として、「男なみの平等」を求める「平等」志向が存在する。他方では、むしろ男性と女性の異質性を強調する「差異」志向が、無視しえない有力な傍流を形成している。
しかしながら、差別もろとも区別を撤廃する、というような徹底した「平等」志向も、男を排斥し女だけのユートピアを建設する、というような「差異」を強調する方向性も、ともに、広義の平等を徹底して最終局面まで追求したことによって出現する可能性なのである。言い換えれば、基底的な平等への志向性には、単純な狭義の「平等」志向と裏返しの「差異」志向へと分裂していく、内的な必然性が孕まれているのだ。
フェミニズムは、人間の平等についての理念の上に立脚しているという点で、すぐれて近代の思想だといえる。フェミニズムの中に生じた分裂は、近代とその変容を基礎づけているリアリティが、不可避に追い込まれていく地点を指し示しているといえるだろう。この報告では、「二つのフェミニズム」という構成が、近代社会の成立とその変容という文脈の中で、いかに仕掛けられているのか、という視点から、フェミニズムが強いられている困難な状況に焦点をあわせる。
報告概要
舩橋 晴俊 (法政大学)
社会理論部会では、理論形成の根拠を現実の具体的問題に求めようという方向づけの上に、テーマとして「モダニティを問い直す」を設定し、三つの報告が行われた。
第一報告、井上孝夫「環境‐社会システム論の構造」では、森林生態系の破壊問題を中心事例としながら、今日の開発‐経済成長型社会システムが、環境問題を引き起こしていくメカニズムが検討された。社会と生態系の関係が、原生的生態系、農業生態系、都市生態系、情報系のもとでどのように変質してきたか、環境危機の回避のためには定常型環境‐社会システムの形成が必要であり、経済・社会活動の「持続可能性」という環境倫理が要請されることが説かれた。第二報告、井上芳保「対抗的社会運動の中の優生思想」においては、モダニティの基本特質の把握の上、モダニティがルサンチマンと差別意識の培養システムとして機能すること、そして、パリア無力型、パリア力作型という人間類型を産出しやすいこと、それを背景に、モダンの社会システムに適合したイデオロギーとしての優生思想が、対抗的社会運動の中にも、一見みえにくい形で出現することが、論じられた。第三報告、吉澤夏子「二つのフェミニズム」は、今日のフェミニズムの思想と運動には「平等」志向と「差異」志向という二つの対照的、対抗的潮流が両極として存在すること、しかし、この両潮流が出現する根底には、近代社会に含まれる基本的矛盾が見いだされること、すなわち近代社会の原規範である平等の理念は、その成立のために差異を必要とするが、同時に差異そのものの還元でもあることが主張された。
これに対し、討論の過程で、近代社会とモダニティとを区別すべきこと、環境保護のための定常経済と国際的格差解消はどう両立しうるのか、運動の盲点をルサンチマン論で突いて行く時そこにどういうメリットがあるのか、等、さまざまな意見が出された。問題の大きさからいって、論点の集約には、論議の蓄積がさらに必要とされよう。
テーマ部会 IV:日本社会と国際結婚
―生活者、労働者から見た変革の意味―
報告者および題目
アジア人花嫁問題の背景
宿谷 京子 (フリー・ライター、フォトグラファー)
農村の花嫁不足事情と国際結婚
板本 洋子(日本青年館結婚相談所)
「アジアからの花嫁」のコトバ・情報・文化環境と自治体の責務
笹川 孝一 (法政大学)
討論者:柿崎 京一・中村 八朗・米村 昭二
司会者:細井 洋子・長田 攻一
部会趣旨
長田 攻一
本部会では、農村における外国人流入問題に目を向け、その背景が深いところでは国際経済格差および国際的人口移動という、都市の外国人流入の場合と共通の要因に支配されているとともに、戦後日本における都市と農村の経済・社会・文化的格差の進展が、農村における外国人流入の形態や提起する問題の内容を都市の場合と著しく異なったものにしていることを踏まえ、いくつかの農村における外国人花嫁の斡旋や国際結婚をめぐって生じている問題の分析を通じて、現在進行しつつある諸現象が今後の農村の社会・文化的変容をどのように迫っていくか、またこの問題を通して今後の農村の再編成がどのような方向においてなされるべきかについての議論ができればと考えている。さらに、昨年までの都市における外国人流入問題に関する議論を補完する形で、1990年代の日本社会の変動をとらえる枠組に関する議論の深化に少しでも寄与しうるならば幸いである。
第1報告
アジア人花嫁問題の背景
宿谷 京子 (フリー・ライター、フォトグラファー)
日本の経済成長と軌を一にして、日本人男性と結婚するフィリピンやタイなどのアジア人女性が増えている。その数は、フィリピン人女性の場合、63年度で2000名余り(新規入国)、在比日本大使館では、64年、4200件(前年比1000件増)の結婚ビザを発行した。
こうした日本人男性とアジア人女性の国際結婚の急増の背景には、日本と、他のアジア諸国との大きな経済格差が第一の要因としてあげられるが、そのほかにも、世界的規模での人口移動、あるいは、日本国内における過疎・過密と言った農村と都市との格差、女性の価値観の変化による男性の結婚難、など様々な事情が複合的にからみ合っている。
とりわけ、日本の農村部においては、結婚が単なる個人の問題にとどまらず、村の過疎対策、後継者対策と直結しており、村の事業としての国際結婚が民間業者を頼りにすすめられているのが特徴的である。
従来、意識あるいは労働の面で強固な封建制によって支えられてきた村が、すでに後継者という観点からは半ば崩壊しかけている。そうした村がとった一つの方策としての国際結婚が、営々と続いた農村型社会の大きな変節点であることは間違いない。 この現実に、社会学としてどのようなアプローチが可能か、現実にどのような力を発揮しうるのか、議論の成りゆきを注目したい。
第2報告
農村の花嫁不足事情と国際結婚
板本 洋子 (日本青年館結婚相談所)
農村の花嫁不足が話題になって久しい。現在各市町村行政は、村及び農業の存亡をかけて結婚対策を実施している。結婚相談員制度、各種交流イベントなどが主である。しかし、これらは、村人を満足させるほど、直接的な結婚の成果につながっていない。こうした状況は、100の理屈より1つの成婚を願う深刻な悩みとなっている。
そうしたなか、主に、アジアを舞台とする個人商売を営む日本人業者によって、アジアからの花嫁導入がはじまった。
以来、嫁問題解決にせまるひとつの画期的方策として、各行政の注目をあびた。一時は連日のように、韓国、フィリピン、スリランカなどから花嫁たちが来日する姿があった。
この斡旋による国際結婚は、行政主導型、行政・業者連帯型、業者への委託型などが主と思われる。個人的契約型も多い。
社会的是非論のなか、こうして農村へ入った花嫁はもう長い人で5年を過ぎる。
子どもも生まれ、はた目にも幸せそうな人たちもいれば、破綻者も目立つ。花嫁の悩みの多くは、最初は、想像したよりも淋しい山村であったことや、気候、風土のちがい、やがては夫や家族との人間関係であり、特に姑との関係の問題は大きい。さらには、経済的誤算など悩みは一面、日本人女性と共通する面も多いが、けっして同質のものではない。
彼女たちが農村に入ったことで、日本の実質的な国際化、農村社会の変貌等、ひとつの発展を期待する声も多い。しかし、現状においては、彼女たちの存在が農村の社会文化的変容を迫るに至ってはいないと感じる。
第3報告
「アジアからの花嫁」のコトバ・情報・文化環境と自治体の責務
笹川 孝一 (法政大学)
日本と当該国との経済的格差を共通の背景としながらも、儒教道徳による女性の地位の低さ(韓国)と経済不振(フィリピン)という異なる条件をも背負って、日本の農村部にやって来る「花嫁」たちは、日本で生活するうえで言語・情報・文化の点で、大きなハンディをもっている。
彼女らは、来日前には、皆無ないしごく少しの日本語学習しかおこなっておらず、来日後も、日本語学習の機会が家族まかせになっているために、フィリピン人、韓国人の差はあるものの、共通して、日本語の読み書きができない。また、彼女らの周囲には彼女らの母語による情報源が極めて少ない。そのために、新聞・雑誌、また役場の広報などの文字媒体が、彼女らにとっての情報源となっておらず、夫や家族に依存せざるをえない状態におかれている。
一方、夫や家族・近隣の人々は、彼女らの母語を学び彼女らの国の歴史や文化を学ぶ姿勢が弱い場合が多いため、多くの韓国人の日本名も含めて、日本への同化を強要する傾向が一般的には強い。
こうした状況は、彼女らにとって不幸であるばかりでなく、せっかく異文化交流の機会をもちながら、それを生かせない、日本人社会にとっての不幸でもある。
しかし、最近は、彼女たちを対象とする日本語教室や、彼女らを講師とする「韓国のコトバと文化」講座などが、役場・公民館などの主催でおこなわれはじめている。この動きは、まだ試行錯誤の域を出ないが、「国際識字年」の今年、日本の文化的閉鎖性を農村部から、変える可能性をもつものとして、注目される。
報告概要
長田 攻一 (早稲田大学)
エスニシティ部会3年目の今年度は、都市への外国人流入問題と表裏の関係にある農村の「国際結婚」問題を取り上げることとした。国際化、国際結婚、女性論、都市と農村の再編成など重要なテーマを含みながらもこの問題に取り組む社会学者の数は少なく、むしろ実践的にこの問題に取り組んでいる方々の報告を中心に、この問題への社会学的アプローチの視点や方法について討論者に議論の糸口を引き出していただくことを狙いとした。
第1報告者の宿谷京子氏(ジャーナリスト)からは、この問題には国際経済的、国内地域的格差がその背景となっていること、農村の「国際結婚」が過疎対策、後継者対策と直結した村の事業として行政が介入する一方、民間業者に「花嫁」斡旋が依頼されているという特徴が明らかにされた。第2報告者の板本洋子氏(日本青年館結婚相談所)からは、村の存亡をかけた結婚政策(結婚相談員制度、各種交流イベントなど)、斡旋業者を通して結婚したアジア人女性の生活上の葛藤をめぐる諸問題、それらを通して照射される現在の日本農村の深刻な状況がリアルに語られた。さらに第3報告者の笹川孝一氏(法政大学)からは、かかる「国際結婚」による意図せざる国際化の兆しを農村再編成の契機として積極的にとらえ、社会教育学の立場からこれらの女性たちの日本語学習の問題に焦点を当て、日本の文化的閉鎖性を農村部から打破していく可能性について議論がなされた。
討論者の中村八朗氏(茨城大学)からは、今後日本社会が必然的に多民族化していくという展望の下に、規範的視点からよりも経験科学的な視点と態度に徹して、今後の趨勢とその社会経済的背景との関連を探っていく必要性が強調された。また柿崎京一氏(早稲田大学)は、問題提起の重要性は評価しながらも報告のような事例を日本の農村全体へ一般化して解釈されることの危惧を表明し、広い視野からの認識と柔軟な対策の必要性を訴えた。最後に米村昭二氏(お茶の水女子大学)からは、報告のような「国際結婚」が当該地域の伝統的制度と慣習の枠内で行われてきていることを冷静に理解した上で、今後の国際化と農村のあり方を議論する態度の必要性が強調された。時間の関係で十分に噛み合うところまで議論が深まらなかったことが悔やまれるが、フロアからも、自分の娘を結婚させてもよいと思えるような魅力ある農村の再編のビジョンを示すことこそが社会学者の課題であるといった意見や、この問題への関心が低い社会学者へのもどかしさを訴えるジャーナリストの意見も聞かれ、国際化と農村社会をめぐる熱のこもった議論が展開された。