第70回大会(東京大学/オンライン)「テーマ部会」
▼テーマ部会A「コロナ禍の経験を社会学としてどう捉えるか」
▼テーマ部会B「新しい調査法と社会調査教育」
テーマ部会A 「コロナ禍の経験を社会学としてどう捉えるか」
担当理事:小ヶ谷 千穂(フェリス女学院大学)、山本 薫子(東京都立大学)
研究委員:小山 弘美(関東学院大学)、村上 一基(東洋大学)
文責:山本 薫子
部会要旨
2020年春以降の世界的な新型コロナ感染症感染拡大は今日に至るまで現代社会のさまざまな分野において多大な影響を及ぼしている。「自然災害」では災害に直面した際に人々の協力や助け合いが求められることに対して、このコロナ禍では互いに距離を取ることが前提とされ「個」でいざるを得ない。このことは結果的に社会の中での連携、つながりのあり方、持ち方にも大きく影響した。まだその渦中にいる私たちにとってコロナ禍をめぐる全体状況を包括的に把握することは容易ではない。しかし、ポストコロナをも見据えた時、コロナ禍という現象を社会学としてどのように理解し、捉えることができるのか、という問いは重要となる。
こうした問題意識を背景に、本テーマ部会では、2022年、2023年の研究例会、大会シンポジウムを通じて複数分野の研究者らとともにコロナ禍の経験や上記の問いについて地域、ジェンダー、エスニシティ、社会階層、情報・コミュニケーション、医療・健康等の分野の横断的な議論を通じて振り返り、検討していきたい。こうした試みはいわゆる連字符社会学の枠を超えた地域学会である関東社会学会だからこそ実現できるものでもある。
1年目(2022年)は差別、社会的排除に関する課題についてできるだけ現場の実態を把握しながら、かつテーマ横断的に把握するとともに、その作業を通じてコロナ禍における他とのつながりや連携(あるいはそれらの不自由や不在)について検討する。1年目の議論を踏まえ、2年目(2023年)はコロナ禍による社会関係の変化について地域コミュニティ、社会運動等の観点から議論を行うことを予定している。2年間の総括として2年目(2023年)の大会シンポジウムでは、新型コロナ感染症感染拡大を通じた社会変化やそれまでの議論で抽出された論点を踏まえ、コロナ禍という現象を社会学として捉えるための問いやその意義、可能性・展望について議論、検討を行う。
以上を踏まえ、2022年6月開催予定の第1回目のシンポジウムでは以下の方々を報告者、討論者としてお招きし、「コロナ禍前」までの状況も踏まえつつ、「コロナ禍」の状況に関するそれぞれの研究分野での知見や現場からの報告についてご紹介いただき、「コロナ禍という現象を社会学としてどのように理解し、捉えることができるのか」という問いについてともに考えていきたい。
報告者および題目
コロナと境界
美馬 達哉(立命館大学)
コロナ禍における社会学的災害復興研究の視角と論点
大矢根 淳(専修大学)
討論者:白波瀬 佐和子(東京大学)、町村 敬志(東京経済大学)
司会者:山本 薫子(東京都立大学)、村上 一基(東洋大学)
報告要旨
コロナと境界
美馬 達哉(立命館大学)
本報告では、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックをめぐる諸問題を、「境界(border)」のあり方―空間の分割と隣接であると同時に、異質な空間の接触面であり、緊張とコンフリクトに満ちた横断と妨害の諸相(Mezzadra and Neilson 2013)―の変容として考察する。
社会距離(social distancing)という感染予防戦略の登場は、境界の分割と拡大としてみることができ、社会のデジタル化による計算可能性の増大と関連している。また、救急現場でのトリアージ(患者の選別)は医療施設と一般社会の間の境界の上昇と合理化の象徴的な事例とみなすことができる。さらに、2021-2年に広く国際的に議論された「ワクチンパス」は、従来の国境での移動のコントロールを、個人の生物医学的な免疫状態に結びつけると同時に、トランスナショナルに統一化する試みであった点で、「国境化(bordering)」(Longo 2018=2020)の一事例とみることができる。
これらのどの場合も、生物医学的な知識体系と生権力(biopower)が生活世界に対する実質的支配を強化した帰結であることでは共通している。これらを、生きること・死ぬこと・看取ることを含めた生活世界という生の形式(bios)に対して、生物医学的なリスクという「剥き出しの生」(zoe)が優越する西洋近代の傾向性と捉えた上で、その二つの間でのコンフリクトに着目して議論したい。
大矢根 淳(専修大学)
報告タイトルを記しながらも心情としては今一歩踏み込んでみて、「コロナ禍に対峙する災害復興論の研究実践」として論じてみたい。
四半世紀前、『年報社会学論集』(No.5, 1994)に載せていただいた拙著論文「被災生活の連続性と災害文化の具現化」は、P.A.ソローキン(「被災生活の連続性」の箇所)とレジリエンス(「災害文化の具現化」)が下敷きになっていた(当時、両タームは未上梓)。ソローキンは、『災害における人と社会』(1943刊・1999翻訳出版)で、戦争・革命→飢餓・疫病の壮大な連鎖、それによる生活世界の撹拌・社会変動の履歴を膨大な文献史資料を繙きつつ論じたが、そこではdisasterではなくcalamityが用いられて、翻訳作業当初は「惨禍」と訳されていた。
翻って今、私たちの対峙する災害復興現場を多角的に注視してみると、そこで「復興災害」が発生し、ならばそれを被災前から考えておこうという「事前復興」の実践過程で、そこに乗り切れない層が「事前復興災害」を体感していることが捉えられている。事前復興災害はコロナ禍のニューノーマルでも既発だろう。
コロナ禍ゆえ(調査が難しい!?)可視化されづらい(例えば東日本大震災の)災害復興現場では、しかしながらそこに何とかアクセスしてみれば、レジリエンスが発動して被災者のエンパワーメントとともに新しい社会関係が生み出されつつある諸事例に出会うこととなる。災害復興論の研究実践を振り返りながら、コロナ禍の社会学的視角と営みを考えてみたい。
テーマ部会B「新しい社会調査法と社会調査教育」
担当理事:渡邉 大輔(成蹊大学)、秋吉 美都(専修大学)
研究委員:内藤 準(成蹊大学)、齋藤 圭介(岡山大学)
文責:秋吉 美都
部会要旨
社会調査士資格認定のための標準カリキュラムは、2003年以降社会調査協会およびその前身の社会調査士資格認定機構によって整備され、一定の標準化と質保証が実現されたといえます。テーマ部会Bでは、標準カリキュラム制定から15年以上が経過していること、および21世紀において調査に関する理論的・技術的イノベーションが相次いでいることを踏まえて、新しい調査法や研究のアプローチが、どのように研究実践の中で理解・活用され、社会調査教育に統合されているか、という問いを提起します。ディシプリンの変容に加えて、新型コロナ感染症によるパンデミックの長期化も新たに対処が必要な現実となっています。ライフスタイルの変化によって調査にもさまざまな影響が出ていることも含めて、調査法と社会調査教育の未来を模索することを本部会では目指します。
1年目の2022年度は、方法論の革新や調査環境の変化を研究や調査にどのように取り入れてきたか、情報共有をすることが主な目的となります。第一報告の盛山和夫さんには、社会調査教育が担う使命について、デジタル化の進展やフェイク・ニュースの跋扈などの社会的背景をも踏まえて問題提起をいただきます。第二報告の辻竜平さんには、自身の研究と社会調査士G科目の教育を重ね合わせる取り組みについて、問題提起をいただきます。第三報告の望月美希さんには、調査士カリキュラムで調査を学び、現在は教育に携わる立場から、「教科書の範疇を超えた」数々の課題について、体験をもとに問題提起をいただきます。討論者には轟亮さんと石岡丈昇さんをお迎えします。
共通して浮かびあがるテーマは、理論的・技術的イノベーションの中で、また現実のさまざまな制約のもとで、いかにデータ・サイエンスやEBPM(evidence-based policy making)の重要性を踏まえて質の高い社会調査を研究者が実践し、教育に還元していくか、という問いです。本テーマ部会は、報告者および参加者の経験を共有し、急激に変化する情報環境において、社会調査のノウハウだけではなくその学術的、社会的使命に関する理解をも深める場を提供したいと存じます。現在調査教育にあたられている皆さまはもとより、実務家や大学院生など、多くの皆さまのご参加をお待ちしております。
報告者および題目
データがつなぐ社会――社会調査教育は何をめざすか
盛山 和夫(関西学院大学)
「社会調査実習」と自らの研究を重ね合わせる試み
辻 竜平(近畿大学)
社会調査教育における質的調査法―若手研究者の視点から
望月 美希(静岡大学)
討論者:轟 亮(金沢大学)、石岡 丈昇(日本大学)
司会者:渡邉 大輔(成蹊大学)、秋吉 美都(専修大学)
報告要旨
データがつなぐ社会――社会調査教育は何をめざすか
盛山 和夫(関西学院大学)
デジタル化が進む中で、データサイエンスやEBPMの重要性が指摘されている。その一方で、日本社会のデジタル後進性は目を掩うばかりである。また、さまざまな統計不正が明るみに出るなど、社会的データの社会的意義についての認識の低さが露呈している。その点で、社会調査教育の重要性はますます高まっていると言える。ただ、社会調査の教育は、社会学という学問における実証的方法の基盤として長い歴史をもっているものの。今日では、時代の変化を背景に、新しい課題と使命に直面している。第一に、急激に進展するICT環境のもとで、Web調査やビッグデータなど、社会調査と統計分析における技術革新は著しく、それにキャッチアップする教育が求められている。これはとくに、大学院を中心とする専門家の育成で重視される。第二に、統計不正や国勢調査への協力の低下などの「社会調査の軽視」の風潮を克服して、社会調査とそれによる統計データが、現代社会を支える重要な社会インフラを構成していることへの認識を広めるという役割がある。そして、第三に、社会調査は人びとの生活実態や意識や価値についての「事実」を、データとして学術的および社会的に共有することを通じて、社会をつなぐ基盤をなしている。すなわち、今日の社会調査教育は、分断と対立を招く「フェイク・ニュース」や「post- truth」などに抗して、「共同の事実」のための教育を担ってもいるのである。
「社会調査実習」と自らの研究を重ね合わせる試み
辻 竜平(近畿大学)
社会調査士G科目(以下、「社会調査実習」と呼ぶ)は、担当教員にとってかなり大きな負担であることは間違いない。真面目に取り組むほど、教育効果は高まる一方、教員の負担も大きくなる。日常的な授業負担もある中で、どのように授業負担と研究時間のバランスを取るかは大きな課題である。私はここ10年ほど「社会調査実習」を担当しながら、自らもその調査データを利用し、それで紀要論文を1本程度書いてみようと取り組んできた。その方法とメリット・デメリットについて述べる。
前任校の信州大学人文学部の社会学研究室における「社会調査実習」は、前期1時限、後期2時限を宛てていた。年度初めにテーマを定め、前期は関連する文献講読と仮説構築、調査項目の作成、夏休み中にサンプリングと調査票の作成、後期に実査と入力作業、分析、レポート作成というスケジュールであった。春休みには、学生たちの最終レポートをもとに、報告書を作成した。この流れに合わせて、私も調査票に項目を組み込み、研究を行った。
この方法のメリットは、教員としては、2つの調査を平行して進める必要がなく、手間や時間を1つの調査に集中でき、費用を縮小できることである。また、教員の調査への注意が高まることで、学生はクオリティの高い指導を受けることができ、「学生レベル」とは一線を画した調査研究ができた。
一方デメリットは、学生と担当教員の質問項目が含まれることから、調査票のボリュームが大きくなる傾向があることや、学生の考えた部分のクオリティを、研究者である自分が納得できる程度に高めようとすると、各段階において、かなりのエネルギーを投入する必要が生じることであった。
社会調査教育における質的調査法―若手研究者の視点から
望月 美希(静岡大学)
本報告では、社会調査教育のうち、特に報告者が専門とする質的調査法に関して、調査士カリキュラムにおける教育上の課題について検討する。報告者は、2003年以降に確立された調査士カリキュラムのなかで調査法を学んだ世代であり、専門社会調査士の資格を取得して就職活動に臨み、現在は大学教員として調査士科目の教育に携わっている。また、自身の研究アプローチとしては、現場に身を投じるフィールドワークを主軸に、インタビューや参与観察法などの質的調査を行ってきた。。
調査士カリキュラムにおいて受けた教育の一方、自身の研究として取り組んだ調査では、当然ながら「教科書の範疇を超えた」場面に多く直面した。例えば、調査倫理の問題、流動的にならざるを得ない調査計画、調査への同意の取り方、そして調査者と被調査者との関係は一体どうあるべきなのかといった問いである。とりわけ報告者が調査研究を行ってきた東日本大震災の被災地域では対象者の多くが被災者であり、調査実施にあたっては様々な困難や葛藤も生じた。さらに報告者が教員として調査士科目を担当するようになった2020年度以降は、covid-19の流行により平時の講義計画の変更を余儀なくされ、昨今ではオンライン・インタビューを調査に組み込むなど、質的調査法は大きな変化の渦中にある。このように研究と教育に奔走する若手研究者の視点から、①調査士カリキュラムにおける質的調査法の位置づけ、②標準化された教育カリキュラムの枠組みの内と外をどのように行き来するのか、③現行の社会調査教育における課題について、自身の経験にも触れながら検討したい。