近年、情報過多の時代において「無知学(agnotology)」や「無知研究(ignorance studies)」への注目が高まっています。これは、気候変動否定やワクチンへの疑念など、「戦略的無知」が社会に与える影響を研究する新しい領域です。
本研究例会では、制度化された無知の形態について、医学上の診断や生命倫理、生殖医療技術を事例に、第一線の専門家を招いて最新の研究成果を共有し議論します。認識論、科学技術社会論、メディア研究など、多様な分野からの参加をお待ちしております。
本テーマ部会では、2年間を通して、「社会規範」が近年どのように変化し、現在どのような状況にあるのか、様々なトピックに関するフィールドと理論を往還しながら考えることを狙いとしています。
1990年代頃の社会学・社会批評では、「社会規範」の相対化や弛緩は社会診断における共通の前提として語られていました。曰く、規範は社会を統合する上で重要な役割を果たしてきたが、社会が複雑化・多元化・個人化する中で統制的な役割を持つ社会規範は機能不全に陥っている。現在は相互が相互に他者として現れる時代であり、島宇宙化する中で共通のコミュニケーションの基盤の設定は可能なのか、そもそも社会は可能なのか、ということをこそ問わなければならない――。
現在、この記述は機能不全を起こしていると考えられます。確かに社会はより複雑になり、ライフコースや生の形式は多様化し、個人化の趨勢は顕著になっています。しかし同時に、極小化していくはずだった「社会規範」を濃厚に感じるようになった側面もあり、「社会規範」の相対化や弛緩というかつての社会記述と齟齬をきたしています。これらの現象をどう捉えるべきか、経験的な分析と理論的な検討の両方から検討していくことがテーマ部会Bの課題となります。
2025年3月の研究例会においては、批判理論や現象学的社会学の観点から道徳概念を理論的に彫琢されてきた気鋭の研究者をお招きし て、社会学理論において道徳や規範をどのように捉えていくべきか議論を展開して頂き、意見を交換することにします。ご興味のある方は、ぜひ例会にご参加いただければと存じます。
開催日時
2025年3月22日(土) 14:00~17:00
報告者
呉先珍(東京大学)、三津田悠(高千穂大学)
ファシリテーター
赤羽由起夫(北陸学院大学)、土井隆義(筑波大学)
会場
東京大学(本郷キャンパス)教育学部棟158教室+オンライン
なお、オンラインでの参加を希望される方は、3月20日(木)までに、以下のリンク先のGoogle Formに必要事項を記入し送信して下さい。前日までにオンライン参加に必要な情報をお知らせいたします。対面で参加の方は、事前の申し込みは不要です。
オンラインでの参加希望
連絡先
東京都文京区本郷7-3-1 東京大学大学院教育学研究科
仁平典宏研究室
(E-mail:nihenori[at]gmail.com ※[at]を@に置き換えてください)
報告要旨
「構築された普遍、先行する普遍――社会学的道徳観の系譜におけるZ.バウマンの位置づけ」
呉 先珍(東京大学)
社会から道徳を救い出さねばならない――2000年代以降、「リキッド・モダニティ」論を展開したことで知られるポーランド生まれの社会学者Z.バウマンの理論では、社会現象の一部としての道徳ではなく、社会の外を構成するものとして道徳が位置づけられる。バウマンが現代社会への記述を媒介にしてみているのは、平等や公平性、連帯など、共同体の維持に必要な価値と道徳の根本的な相容れなさ、また、それによってもたらされる苦悩と葛藤である。社会にとって道徳は、不都合な事態をもたらす妨害電波であらざるを得ない。このようなバウマンの見方は、道徳の起源を社会に見いだそうとするE.デュルケムの道徳論とは対立するようにみえる。デュルケムの道徳論とは対比的な道徳の社会からの「外在化」は、N.ルーマンやJ.ハーバマスらにもみられる。本報告では、バウマンの道徳論の骨子を紹介し、そのデュルケム道徳論との相違点から、「外在化」を試みた他の論者らとの違いまでを論じる。そうすることで、「規範」か「経験」かをめぐる社会学的葛藤に踏み切る以前に検討すべき理論的パースペクティブとして、社会的な諸価値と道徳性の峻別を土台とするオルタナティブな規範観を提示したい。
現象学的社会学の視角からみた道徳――T.ルックマンの道徳論を手がかりに
三津田悠(高千穂大学)
本報告の目的は、A.シュッツの諸著作を源泉とする、現象学によって基礎づけられ方向づけられた理論的視角――いわゆる現象学的社会学――から道徳はどのように捉え得るのか、そして、その捉え方は道徳をめぐる社会学的な議論に対していかに寄与し得るのかを明らかにすることにある。道徳は、明示的にであれ暗黙裡にであれ、古典的研究から現代の研究に至るまで、社会学において重要なテーマであり続けてきたが、その概念の捉え方は多様である。本報告では、原理論的な貢献を企図しながら、従来の社会学ではあまり注目されてこなかった道徳をめぐる人々の「経験」に立ち還る視角として、現象学的社会学に着目する。とりわけT.ルックマンによる、シュッツの議論を応用した道徳論を手がかりに、道徳をめぐる経験とはいかなる経験であり、その経験のありようを解明することが道徳をめぐる社会学的な議論に対していかに寄与し得るのかを明らかにすることを目指す。その際、ルックマンが道徳と宗教とのかかわりについて論じる際に言及している「超越」という概念に着目することによって、社会学の共通財産となっている「規範」という概念と「道徳」概念との異同についても考察したい。
(文責:仁平典宏)