第72回大会(明治学院大学)「テーマ部会」
▼テーマ部会A「人工知能(AI)との共存・共生における課題」
▼テーマ部会B「「社会規範」の〈変化〉をどう捉えるか?―多様性をめぐる包摂と排除―」
テーマ部会A 「人工知能(AI)との共存・共生における課題」
担当理事:赤堀 三郎(東京女子大学)、堀内 進之介(立教大学)
研究委員:馬渡 玲欧(名古屋市立大学)、柳原 良江(東京電機大学)
文責:堀内進之介
部会要旨
近年、AIをはじめとする科学技術の急速な発展は、私たちの生活や社会に大きな影響を与えています。AIは医療、教育、産業など様々な分野で活用されるようになり、人間とAIの共存・共生が求められる時代になりました。しかし、AIの社会実装に伴う倫理的・法的問題、技術の社会的受容、人間とAIのインタラクションのあり方など、多岐にわたる課題も浮上しています。
これらの課題に取り組むべく、研究例会などを通じて、AIがもたらす社会的影響や課題を考察してきました。今年度は、その議論をさらに深化させるため、学際的かつ多角的な視点から、AI時代の重要課題である科学技術倫理、世論とAIの社会的受容、人間-ロボット相互行為の3つのテーマに着目します。
各テーマについて、第一線で研究されている先生方をお招きし、それぞれの観点からご報告いただきます。久木田水生先生(名古屋大学)には倫理学の観点から、谷原つかさ先生(立命館大学)にはELSIの観点から、山崎晶子先生(東京工科大学)には人間-ロボット相互行為の観点からご講演いただきます。さらに、AI・DX時代の時間意識の変容について研究されている伊藤美登里先生(大妻女子大学)、そしてAI時代の社会的格差や民主主義のあり方、コンピュテーショナル社会科学の発展について研究されている佐藤嘉倫先生(京都先端科学大学)に討論者として加わっていただき、学際的な議論を深めます。
本テーマ部会を通じて、AI時代における人間とAIの共存・共生のあり方について理解を深めるとともに、その実現に向けた社会学の役割と可能性について考える機会としたいと思います。AI時代を生きる私たちにとって、人間とAIの共生は避けて通れない課題であり、社会学においてもこの課題にアプローチすることの意義は大きいと言えます。多様な専門分野の研究者や実践者の方々の積極的なご参加を心よりお待ちしております。
報告者および題目
ミームと遺伝子の間の共生関係と寄生関係――人工知能とのより良い共生のために
久木田 水生(名古屋大学)
AIのELSIに対して社会学は何ができるか?:人々とAIの関係を定量的に記述する
谷原 つかさ(立命館大学)
身体化された知――ロボットとAIの社会学的研究
山崎 晶子(東京工科大学)
討論者:伊藤 美登里(大妻女子大学)、佐藤 嘉倫(京都先端科学大学)
司会者:堀内 進之介(立教大学)
報告要旨
ミームと遺伝子の間の共生関係と寄生関係――人工知能とのより良い共生のために
久木田 水生(名古屋大学)
異なる生物種の間(あるいは異なる遺伝子の間)の共生には互いが利益を得る相利共生と一方だけが利益を得る片利共生(寄生)がある。それと同様にテクノロジーと人間の間(あるいはテクノロジーのミームと人間の遺伝子の間)の共生関係にも相利的なものと片利的なものがありうる。通常、テクノロジーが社会に普及するのは、それが人間に利益をもたらすからだが、中にはそれを使う人間の生存や繁殖、あるいは幸福や繁栄に寄与することなしに、普及しているものがある。そのような関係はテクノロジーによる人間への「寄生」と呼ぶことができる。寄生的テクノロジーは人間の生理や心理の脆弱性に付け込むことによって、人間をそのテクノロジーに依存させる。
本発表ではいくつかの事例を取り上げ、テクノロジーと人間との関わりを「共生」と「寄生」という観点から描写する。そして人工知能に関して、それらがいかにして人間に寄生しうるかを考察する。一言で人工知能といってもその技術的詳細や機能、用途は様々であるが、本発表では特にビッグデータに基づいて機械学習を行い、人間をプロファイリングするために用いられる人工知能を取り上げる。
AIのELSIに対して社会学は何ができるか?:人々とAIの関係を定量的に記述する
谷原 つかさ(立命館大学)
AIのELSI(Ethical,legal,socialissues)に関しては、法学や哲学において盛んな議論がなされている。そうした中で本報告は、AIのELSIに関して社会学者が貢献できることを探る試みである。国際的な専門ジャーナルに目を向ければ、AIの社会的受容性と題されて、人々がどの程度どのようなAIを受け入れるのか、AIを受け入れる規定要因は何かといったことが定量的に探究されている。特に、自動運転車のトロッコ問題における人々の選好のあり様を分析した論文はScienceやNatureといったトップジャーナルに掲載されている(Awadetal.,2018;Jean-FrancoisBonnefonetal.,2016)。
こうした発想をヒントとして、報告者が日本国内において行ったAIの社会的受容性に関する研究を報告する。第一に、生成AIの利用に関する階層性である。内閣府による「人工知能と人間社会に関する懇談会」の最終報告書(2017)でも報告されている通り、AIのデバイド(AIを利用する者と利用しない・できない者の格差)が社会問題化する可能性がある中で、AI利用と社会階層の関係を可視化しておく必要がある。第二に、AIによる社会的な判断の受容性である。EUにおけるAIに対する包括的規制の試みであるEUAIActにおいて「ハイリスク」と分類され強い規制の下に置かれているAIの中には、人々の法的地位を左右するような判断が含まれている。そうしたAIによる意思決定を受け入れるか否かを従属変数、社会階層に関する変数を独立変数として分析した結果を報告する。
身体化された知――ロボットとAIの社会学的研究
山崎 晶子(東京工科大学)
本報告では、美術館や実店舗での身体化された知としてのロボットとの相互行為の研究について述べ、さらに身体化した知としてのAIの社会学的研究の可能性について議論する。
われわれの研究グループは、まず人間同士の相互行為の知見を利用して、ロボットの開発と実験を行った。会話分析の創始者のサックスら(Sacks,SchegloffandJefferson,1974)は、今の話し手の発話において、発話の順番が変わっても良い場所(TransitionRelevancePlace:移行が適切となる場所)に至るときに、次の話し手への順番交替の手続きが可能であることを発見した。本研究グループは、展示を説明するガイドと観客に相互行為のビデオ撮影を行い、ガイドは文の切れ目(移行が適切となる場所)においてしばしば観客の方向を向くなどの身体的行為を協調させていること、またそうしたロボットの身体的行為に観客が反応することを見いだした。ミュージアムにおいて、この知見に基づいて、ロボットの言語行為(解説)を身体的行為と協調させたところ、観客はロボットに対して自ら話しかけたり質問をしたりした(Yamazakietal.,2010)。本報告では、実店舗で、品物について簡潔な言明をするロボットに、このような言語的行為と身体的行為を協調させて接客の結果を中心に説明する。この接客ロボットに対して、客は自ら話しかけたり、質問をしたりするなどの反応をみせた。
本報告では、このような「身体化した知」としてのロボットと人間の相互行為および、AIとその身体化した知の問題に関して議論を行う。
テーマ部会B「「社会規範」の〈変化〉をどう捉えるか?―多様性をめぐる包摂と排除―」
担当理事:土井 隆義(筑波大学)、仁平 典宏(東京大学)
研究委員:赤羽 由起夫(北陸学院大学)、髙橋 史子(東京大学)
文責:仁平典宏
部会要旨
2024年度~25年度のテーマ部会Bでは、「社会規範」が近年どのように変化し、現在どのような状況にあるのか、様々なトピックに関するフィールドと理論を往還しながら領域横断的に議論する場にしたいと考えています。
かつて1980~90年代頃の社会学・社会批評では、「社会規範」の相対化や弛緩は社会診断における共通の前提として語られていました。曰く、規範は社会を統合する上で重要な役割を果たしてきたが、社会が複雑化・多元化・個人化する中で統制的な役割を持つ社会規範は機能不全に陥っている。現在は相互が相互に他者として現れる時代であり、島宇宙化する中で共通のコミュニケーションの基盤の設定は可能なのか、そもそも社会は可能なのか、ということをこそ問わなければならない――。
現在、この記述はどこまで妥当するでしょうか? 確かに社会はより複雑になり、ライフコースや生の形式は多様化し、個人化の趨勢は顕著になっています。しかし同時に、極小化していくはずだった「社会規範」を濃厚に感じるようになった側面はないでしょうか? その諸相は「社会規範」の相対化や弛緩というかつての社会記述と齟齬をきたしているようにも見えます。これらの現象をどう捉えるべきか、経験的な分析と理論的な検討の両方から検討していくことがテーマ部会Bの課題となります。
1年目は、様々な領域における「社会規範」を巡る変化と現状について、経験的な研究に基づき検討していきたいと思います。2024年6月の学会大会では、「「規範」の変化をどう捉えるか?――多様性をめぐる包摂と排除」と題して、日本社会のいくつかの領域における規範のあり方と包摂/排除の関係について検討していきたいと考えています。
既存の議論が指摘する通り、旧来の規範が相対化され、意識のリベラル化が進んでいると考えられる領域も多く見受けられます。他方で、相互行為上で規範化されたインフォーマルなコードやルールが高度化し、それを共有しない人の排除を進めているような側面も見受けられます。さらに近年は――「マルハラ」に象徴されるように――集団間のコードの差異を「ハラスメント」という公的なクレイムにつなげつつ理解するまなざしも生まれています。また、ダイバーシティが公的には肯定されるようになる一方、様々なバックラッシュも生じており、マジョリティが考える「標準」からのズレによって、特定の生のあり方を貶価するコミュニケーションの領域も広がっているように見受けられます。
もちろん、ここに挙げた例は多次元的であり、同じ文脈化の事象として捉えられるものではないかもしれません。あるいは「社会規範」という概念が適切かということについても考えてみる必要があるでしょう。いずれにせよ、社会規範の相対化や弛緩という構図では捉えられない動きが散見されるのは確かであり、様々な領域における規範はどのように変化し、現在どのような状況にあるのか、その変化の過程で包摂/排除の境界線はどのように変わっているのかということを、複数の領域の知見を持ち寄り、改めてマッピングしていく作業が必要であるように思われます。 以上を踏まえまして、学会大会では、性的マイノリティ、外国人、孤立・孤独のキーワードを軸としながら、それぞれのテーマに関する「規範」の変化と現在性、及び包摂/排除との関係について、いかなる方法論のもとでどのように捉えることができるか、各報告者からの報告と議論を通じて、日本の「社会規範」の現在地を探っていきたいと考えています。みなさまのご参加をお待ち申し上げます。
報告者および題目
孤立・孤独による殺人と包摂/排除――犯罪報道から規範を読む
赤羽 由起夫(北陸学院大学)
外国人との共生をめぐる規範――社会意識調査を用いた検証
永吉 希久子(東京大学)
自己執行的カテゴリーの変遷と規範――性的マイノリティによる実践
杉浦 郁子(立教大学)
討論者:浅野 智彦(東京学芸大学)
司会者:土井 隆義(筑波大学)、髙橋 史子(東京大学)
報告要旨
孤立・孤独による殺人と包摂/排除――犯罪報道から規範を読む
赤羽 由起夫(北陸学院大学)
本報告の目的は、孤立・孤独による殺人事件の新聞報道を分析することによって、現代社会の人間関係をめぐる規範の変化と多様性をめぐる包摂/排除との関連を考察することである。
現代は人間関係の自由化が進んだ社会であり、誰が誰とどのような人間関係をむすぶかを自由に選択できるようになっている。これをそのまま、人間関係の選択肢の増大ととらえるのであれば、それにともなって人間関係の多様性も尊重されるようになったと考えられる。
しかし、ここで問題となるのは、人間関係をむすばない自由、すなわち孤立・孤独の自由がどこまで認められるのかという点である。なぜなら、2000年代後半から孤立・孤独は重要な社会問題の1つとして論じられるようになり、近年では殺人事件との関連も強く示唆されるようになっているからである。そのため、孤立・孤独が規範的に望ましくないとみなされていることが示唆される。また、包摂/排除という点から見ると、望まない孤立・孤独はそのまま人間関係からの排除としてみることができる。
これらをふまえて、本報告では、『読売新聞』『朝日新聞』における孤立・孤独による殺人事件の記事を分析する。具体的には、2000年代前半までと、2000年代後半以降の事件記事を比較することで、孤立・孤独に対する社会的視線の変化を記述し、そこから人間関係をめぐる規範や包摂/排除の変化について論じる。
外国人との共生をめぐる規範――社会意識調査を用いた検証
永吉 希久子(東京大学)
少子高齢化を迎えた日本社会では、国民をまきこんだ幅広い議論が行われないままに、外国人の受け入れが進められている。結果として、移民受け入れの長い歴史をもつ西ヨーロッパ諸国とは異なり、日本においては外国人との共生に関して、ヒューリスティックなまとまりをもった態度が形成されず、個別の対象、イシューごとに異なる態度が表明されている。このような状況の中で、外国人との関係における「規範」は存在するのだろうか。本報告では質問紙調査における外国人への態度表明という行為に着目し、質問紙調査に実験的手法を組み込んで実施した複数の共同研究の結果を用いつつ、日本における外国人との共生に関する規範の状況を検討する。
具体的には、人種的・民族的・国籍にもとづく偏見に関する心理学・社会学分野の研究の中で、社会的望ましさバイアスの影響を受けにくい、「隠れた」偏見の検証に用いられてきたリスト実験や潜在連合テスト(Implicit Association Test)などを用いて測定した外国人に対する態度と、通常の質問紙での質問で測定した態度を比較することで、規範の働きを検証する。また、外国人に対して肯定的/否定的意見が多数派となるような意見空間に置かれることが態度表明に影響を与えるのかを検証することにより、認知された多数派意見が規範として機能している可能性を示す。これらの知見から、日本における外国人との共生に関する規範の特徴と、そうした規範が生じるメカニズムについて考察する。
自己執行的カテゴリーの変遷と規範――性的マイノリティによる実践
杉浦 郁子(立教大学)
本報告は、1970年代から90年代半ばのレズビアン解放運動における「レズビアン」カテゴリーの使用実践を取りあげ、「レズビアンとはどのような女か」をめぐる攻防に性に関する諸規範がどのように関わっていたかを記述する。
「レズビアン」は、1960年代にはすでに、異性愛男性の性的欲望を喚起させるポルノグラフィの題材となっており、「レズビアンは性的に奔放な女である」というイメージが拡散していた。他者が捏造する「レズビアン」のステレオタイプに抵抗し、自らの性や生を肯定することをめざしたレズビアンたちによる活動は、1970年代半ばに世に出た。それ以降の活動では、「レズビアン」というカテゴリーを独自のやり方で用い、メンバーシップを管理しようとする実践――カテゴリーを自己執行的に運用する実践――が盛んになされた。本報告は、「レズビアンであること」がどのような活動と結びつけられて主張されたのか、そのなかでどのような規範が反復/攪乱され、どのような「女」が包摂/排除されたのかを、当時の活動が置かれていた文脈とともに叙述する。
本報告は、特定の時代において「レズビアンであること」がどのように語られ、認識されてきたかを統御したものとして「規範」をとらえる。そのうえで、アイデンティティ・カテゴリーの使用実践の歴史を記述することが規範の変容を明らかにするひとつの方法であることを示す。