研究活動

年次大会

第49回大会(東京女子大学)「テーマ部会」

テーマ部会A「社会構造の変容とエスニシティ」
テーマ部会B「情報化と労働の変容」
テーマ部会C「グローバリゼーションと市民社会」
 

テーマ部会A「社会構造の変容とエスニシティ」

司会者:佐久間 孝正 (東京女子大学)  梶田 孝道 (一橋大学)
討論者:柏崎 千佳子 (慶應義塾大学)  丹野 清人 (日本学術振興会)

部会趣旨:宮島 喬 (立教大学)
第1報告: 労働市場のエスニックな多元化と産業再編成 小井土 彰宏 (一橋大学)
第2報告: グローバルシティとマイノリティ 西澤 晃彦 (神奈川大学)
第3報告: 福祉国家構造と移民マイノリティ――現代ドイツに照準して 久保山 亮 (東京大学)
報告概要:梶田 孝道 (一橋大学)

部会趣旨

宮島 喬 (立教大学)

今日の先進国の状況を特徴づけて,「ポスト移民期」と呼ぶ西欧研究者もいる(M. マルティニエッロ)。外国人労働者が大量に入国・就労した時期がヨーロッパでは1960年代から70年代前半であり,その後に受け入れ停止期がやってくる。日本では90年代前半に外国人の入国・就労が驚くほど急テンポで増加したが,その後は自動車等の製造業の不況もあって,その数は漸増という形で推移している。不況,脱工業化,移民層の多様化という構造変動の中にあって,既滞在外国人・移民は変容しつつある労働市場にどのように適応しようとしているのか。また,企業の側は外国人に対しどのような雇用戦略をとろうとしているのか。西欧社会における定住民化した移民労働者の適応上の困難は何か。これはドイツの状況に焦点化して報告されよう。また,日本における日系人労働者やアジア系労働者の労働市場と企業後内関係における位置の変動も問われなければならない。実態調査を踏まえたその報告は,多くのことを我々に教えてくれよう。

他方,本部会では,滞在の年輪を重ねる外国人労働者が地域社会の中にマイノリティとして登場しつつあると捉え,彼らが地域社会のなかで日本人の下層住民とどのような条件を共有しているのか,あるいはいないのかを検証したいと考えた。不況や,脱工業化の影響がここにも影を落としているが,増大するホームレス化した都市住民層は,外国人不安定就労者なども含むのだろうか。検証は必ずしも容易ではないだろうが,その考察は必要な段階に来ているといえよう。

社会構造の今日的な変容を鋭敏に捉え,それをエスニシティの社会学的研究のなかで受けとめ,生かしていくこと,それを大きな目標に設定し,本年度の本部会を準備した。活発かつ発見的な意義に富む討論を期待するものである。

報告要旨

労働市場のエスニックな多元化と産業再編成

小井土 彰宏 (一橋大学)

労働市場がエスニシティを媒介として分節化されることは,すでにたびたび論じられており,いくつかの理論的な説明も提起されてきた。それらを踏まえつつも,本報告では,特に同じ職場および同じ地域的労働市場の中で,出身国,エスニックな特性,法的地位といった差異をもつ多様な労働力がどのように使い分けられ,また組みあわせられているかについて考察したい。主に茨城県において実施中の工場および労働者調査の中間的な発見と考察に依拠しながら,意外なほど多様なエスニック・カテゴリーの労働力が利用されている事実を指摘しつつ,その構造化の中に最近の企業の論理と労働力のカテゴリーの対応関係を考察していきたい。そこにはこれまであまり注意を向けられてこなかった新たな傾向もうかがわれる。また,以上の考察の前提として,アメリカ合衆国における同じ事業所の中での国籍・法的身分による差の分析を,比較対照事例として手短かに論じることとする。

グローバルシティとマイノリティ

西澤 晃彦 (神奈川大学)

そもそも都市は,その後背地から多様な人口を吸引し集積することによって,人口の異質性を増大・保持してきた。また都市は,「異質なもの」との否応なしの接触機会を都市に生きる人々に提供することによって,多様な個性とサブカルチャーを生み出し続けてきた。C. S. フィッシャーが取り出してみせたのは,この都市の社会過程によって解発される都市人の生活様式(=アーバニズム)であった。しかし,都市は,「よき国民」「純粋な民族」の方へと人を均質化・純粋化しようとする権力からすれば,常に象徴秩序を掻き乱す「問題」の場なのであり管理・介入の対象である。それゆえに,都市における社会現象は,人口を均質化しようとする力と,その力に強く支配されつつもその間隙を縫うように噴出する個性やサブカルチャーとの間のせめぎあいとして把握され得る。本報告では,グローバリゼーション下の東京(圏)のマイノリティ(野宿者とエスニックマイノリティ)による生活拡充へのチャレンジを取り上げ,空間を介在しつつ作用する力によって規制されつつ,接触媒体を探り当てながら展開する(フィッシャーのいう)アーバニズム,トランスナショナル・アーバニズム(M. P. スミス)の現れとしてそれを解読したい。

その際,特に触れなければならないのは,産業化段階において既に制度化されていた,非組織・非定住の労働力である〈都市下層〉の存在についてであり,彼ら彼女らに対する雇用の現場での支配様式についてである。今日においても外国人労働者に応用されているその支配の様式は,都市下層を分散させまた人口の再生産を抑制することによって不可視化させてきたし,またエスニック・コミュニティの形成の阻害要因ともなってきたと考えられる。そうした制約をこえて,都市というアリーナにマイノリティが登場する道筋,可能性について考えてみたい。

福祉国家構造と移民マイノリティ――現代ドイツに照準して

久保山 亮 (東京大学)

本報告では、美術館や実店舗での身体化された知としてのロボットとの相互行為の研究について述べ、さらに身体化した知としてのAIの社会学的研究の可能性について議論する。
われわれの研究グループは、まず人間同士の相互行為の知見を利用して、ロボットの開発と実験を行った。会話分析の創始者のサックスら(Sacks,SchegloffandJefferson,1974)は、今の話し手の発話において、発話の順番が変わっても良い場所(TransitionRelevancePlace:移行が適切となる場所)に至るときに、次の話し手への順番交替の手続きが可能であることを発見した。本研究グループは、展示を説明するガイドと観客に相互行為のビデオ撮影を行い、ガイドは文の切れ目(移行が適切となる場所)においてしばしば観客の方向を向くなどの身体的行為を協調させていること、またそうしたロボットの身体的行為に観客が反応することを見いだした。ミュージアムにおいて、この知見に基づいて、ロボットの言語行為(解説)を身体的行為と協調させたところ、観客はロボットに対して自ら話しかけたり質問をしたりした(Yamazakietal.,2010)。本報告では、実店舗で、品物について簡潔な言明をするロボットに、このような言語的行為と身体的行為を協調させて接客の結果を中心に説明する。この接客ロボットに対して、客は自ら話しかけたり、質問をしたりするなどの反応をみせた。
本報告では、このような「身体化した知」としてのロボットと人間の相互行為および、AIとその身体化した知の問題に関して議論を行う。

報告概要

梶田 孝道 (一橋大学)

日本における「エスニシティ」の理論と実証の水準の向上を目的として、昨年度と本年度の二年間に渡って「エスニシティ」部会を企画した。本年度は、素朴な調査整理にとどまることなく、社会学が直面するマクロな社会構造との関係を問う諸報告を準備し、エスニシティと社会構造の変容がどのように関連するかを問うこととした。第一報告は小井土彰宏氏(一橋大学)の「労働市場のエスニックな多元化と産業再編成-外国人労働者の分散化と地域労働市場の構造化-」で、北関東での実証調査をもとに、企業のグローバル化への対応を外国人(日系ブラジル人、日系アジア人、研修生、「不法」就労者)利用のあり方から理解しようとする試みであった。第二報告は西澤晃彦氏(神奈川大学)の「グローバルシティと下層マイノリティ-間隙を縫う-」で、都市社会学で使われてきた「都市下層」という概念を基礎に、従来の国内の都市下層と外国人との類似性と相違とを明らかにするものであり、そこではグローバル化理論に特有な二層分化モデルの直接の日本の現実への適用に疑問を呈する問題提起がなされた。両報告とも、「郊外」という、この研究分野ではともすると注目されにくい地域をクローズアップした点で共通性があり、議論のなかで、さらなる理論的掘り下げが望まれた。第三報告は久保山亮氏(東京大学大学院)の「福祉国家構造と移民マイノリティ-ドイツを中心に-」であり、福祉国家論とレジーム論を基礎にして、西欧諸国の外国人の現状と課題を分析し、その一方で、外国人労働者の「再商品化」が生じており従来の福祉体制に乗りにくい新たな外国人利用の手法が試みられている点が紹介された。三報告の後、柏崎千佳子氏(慶應義塾大学)と丹野清人氏(日本学術振興会)から、質問と反論が各報告者に寄せられた。なお司会は、前半は梶田孝道(一橋大学)、後半は佐久間正孝(東京女子大学)が担当した。質問と反論は多岐に渡り極めて有益なものであったが、小井土報告に対しては、問題設定と現実の調査手法との不整合性を問うものが、西澤報告に対しては、「都市下層」が記述概念なのか分析概念なのかを問うものが、久保山報告に対しては、既存の福祉国家への外国人編入と外国人の「再商品化」との関係を問うものが印象に残った。二年間にわたる研究活動を通して、日本のエスニシティ研究が素朴な調査蓄積の段階を脱して欧米と同様な方法と水準で議論されるべき時点にきていること、エスニシティ研究はそれ自体として自足するのではなく、今回のように産業配置論、都市社会学、福祉国家論などとの対話のなかでその知的水準を引き上げる必要があること、従って、マイノリティ研究は決してマイノリティ化してはいけないこと、グローバル化といったマクロ的テーマとの対話が必要ではあるが、同時に緻密な社会学的手法が不可欠であり、実証分析によって、通常いわれている言説との差違に敏感であるべきこと、が明らかになった。優れた報告者・討論者の下で活発な議論が行われ、多くの若い研究者が参加した。「エスニシティ」が、今後の同学会においても、追求されるべきテーマであることが改めて実感させられた。
 

テーマ部会B 「情報化と労働の変容」

司会者:安藤 喜久雄(駒澤大学)
討論者:齋藤 幹夫(東北福祉大学) 上林 千恵子(法政大学)

部会趣旨
第1報告:技術革新と労働の変化――情報技術の今後への考察 佐藤 厚(日本労働研究機構)
第2報告:情報技術の進展と雇用 八幡 成美(日本労働研究機構)
第3報告:情報テクノロジーとバリアフリー社会 石川 准(静岡県立大学)
報告概要

部会趣旨

報告要旨

技術革新と労働の変化――情報技術の今後への考察

佐藤 厚(日本労働研究機構)

情報技術の進展と雇用

八幡 成美(日本労働研究機構)

情報テクノロジーとバリアフリー社会

石川 准(静岡県立大学)

報告概要

 

テーマ部会C 「グローバリゼーションと市民社会」

司会者:佐藤 慶幸 (早稲田大学)  高田 昭彦 (成蹊大学)
伊豫谷 登士翁 (一橋大学)  栗原 孝 (亜細亜大学)

部会趣旨 長田 攻一 (早稲田大学)
第1報告: 国際社会のガバナンスとシビル・ソサエティ 勝又 英子 (日本国際交流センター)
第2報告: グローバリゼーションの陰画としての地球温暖化問題――サブシディアリティの原理による地球環境ガバナンスの可能性― 池田 寛ニ (日本大学)
第3報告: グローバル・リフレクシヴィティはいかにして可能になるか――環境の「構築」におけるコスモポリタンとローカル,そしてユニヴァーサル―― 小川 葉子 (慶應義塾大学)
報告概要 高田 昭彦 (成蹊大学)

部会趣旨

長田 攻一 (早稲田大学)

昨年よりグローバリゼーションをテーマにしてきた当部会がこれまで検討してきたことは,(1) グローバリゼーションとは何か,(2) グローバリゼーションはいかなる領域でどのように進展してきているか,(3) 社会学はグローバリゼーションをどのように受け止めたらよいのか,という問題であった。昨年の大会テーマ部会では,「グローバリゼーションとナショナリティ」と題して,経済学,政治学,社会学の研究者から報告をお願いした。そこでは,総じてグローバリゼーションは,国民国家を超える政府,企業,その他のエイジェンシーを軸として,政治,経済,文化における領域化,脱領域化,再領域化が多層的かつ多元的に社会空間を再編しつつ展開している複雑な現象であることが印象づけられるとともに,その過程においても国民国家の存在の大きさが改めて確認されることになった。

そこで今年度は,グロ-バリゼーションを担っているエイジェンシーのなかでも,社会学に固有の問題関心を象徴するもののひとつとして,国連,国民国家,企業と並んで重要な役割を演じつつあるNGO,NPOなどのいわゆる「市民活動」の動きに注目してみることになった。グローバリゼーションは,地球環境問題,核拡散問題,人権問題,地雷処理問題,等々の国民国家間の関係によっては処理できないような諸問題をめぐって,国民国家の内外にさまざまなレベルと規模のNGO,NPOの活動を生じさせている。今年のテーマ部会は,勝又英子氏(国際交流センター)のTransnational Civil Society論からのグロバリゼーションの捉え方とさまざまな領域での事態の進展状況についての報告,池田寛二氏(日本大学)からの環境問題めぐるグローバルな諸政策が社会学に提起する諸問題についての報告,小川葉子氏(慶應義塾大学)からのグローバリゼーションをめぐる社会学における今日的議論の紹介と問題提起についての報告を予定している。4月7日に行われた研究例会での議論をも踏まえて,NGOのような団体の活動は,グローバリゼーションという過程の中で社会学に対してどのような問題を提起するのか,あるいはそのような活動をグローバリゼーションという過程を背景としてみた場合に,社会学は,「市民」という概念についてどのような観点からどのような見直しを迫られることになるのか,そしてそのような考察は,グローバリゼーションという現象を,社会学的に捉える上でいかなる意義を有するのか,といった諸点について議論が展開されることを期待したい。

報告要旨

国際社会のガバナンスとシビル・ソサエティ

勝又 英子 (日本国際交流センター)

冷戦の終焉がもたらした民族自立の動き,中産階級の台頭と民主化運動の胎動,地球的課題の浮上,人口の急増,福祉国家の危機,ボーダーレス化と人とものの急激な流れ――国際機関も国家もそのガバナンスの能力が問われている。冷戦時代のようにイデオロギーによって統治される時代は終わり,あらゆる国が国際社会の課題に直結する多様な国内課題を抱えており,多くの場合,対処不能あるいは困難といえる状況に陥っている。

国家と国際社会が受けているこれら挑戦は,高度情報革命の進展とともに,経済効率の上昇や選択の自由の拡大という恩恵と同時に,地球環境の変化や社会の荒廃という深刻かつ緊急な課題を提示するようになった。もはや単独の国家あるいは国際機関の専権事項ではなくなり,“シビル・ソサエティ”,あるいは“NGO/NPO”と呼ばれる非営利,非国家の民間組織がこうしたガバナンスの課題に関わるようになった。

国家や国際機関との際だった違いは,これら“シビル・ソサエティ”がインフォーマルに連帯し,国境を超えて膨大なネットワークを形成し,様々な課題の政策決定にダイナミックかつ臨機応変に関わるようになってきたことである。地雷廃絶の国際キャンペーンはもっとも典型的な事例である。地球環境の保全,人権問題,ヒューマン・セキュリティの確保,等,その解決の一部を彼らに委ねざるを得なくなっている。シアトルにおけるWTOに対するNGOの挑戦はその是非はともかく,宗教グループ,環境グループ,人権グループ,労働グループ等,様々な利害関係を有するNGOがインターネットを通じて短期間に連携を強めた結果でもあった。

こうした柔軟な対応が国家や国際機関に不可能だとすれば,もはや,国内・国際社会の課題を“シビル・ソサエティ”抜きで語ることも不可能である。国境を超えたシビル・ソサエティの活動の歴史はまだ日が浅く,かれらが将来にわたり貢献を果たすことができるのか,壁につきあたり他の解決方法を探らねばならないか,その資料は十分ではないが,注目するに値する動きであることは間違いない。国際関係の重要なアクターとしての活動を見守り検証することが求められていると言えよう。

グローバリゼーションの陰画としての地球温暖化問題
――サブシディアリティの原理による地球環境ガバナンスの可能性―

池田 寛ニ (日本大学)

地球温暖化防止政策は,1997年に京都で開催された国連気候変動枠組み条約第3回締約国会議,通称京都会議以降,明らかに後退局面に入っている。京都会議で採択された議定書は,昨年11月にオランダのハーグで開催された第6回締約国会議において発効にこぎつけることが期待されていたが,ハーグ会議は決裂に終わり,結論は21世紀の今日に持ち越されたままとなっている。さらに本年3月には,世界最大の二酸化炭素排出国であるアメリカのブッシュ新政権が京都議定書を支持しないと宣言し,温暖化防止政策そのものが存続の危機に晒されている。本報告では,グローバル・アジェンダとしての地球温暖化問題をめぐる地球規模の政策的取組みが,今日このような危機的状況に直面していることを,グローバリゼーションのネガティブな必然的帰結として説明する試みをとおして,主に途上国の視点からグローバリゼーションの問題性に迫ってみたい。

周知のように,温暖化問題に代表される地球環境問題をめぐる政策形成の場面では,90年代以降グローバルな「ガバナンス」の必要性が強調されるようになっている。それは,国民国家の政府(ガバメント)間のポリティックス(利害調整)に対するオルタナティブを意味している。と同時にそれは,理念的には「トランスナショナルな市民社会」によって展開されねばならないと考えられている。しかし,温暖化政策の実態は旧態依然たる国際的ポリティックスの域を一歩も出ていない。それどころか,途上国サイドからは,「地球環境ガバナンス」という理念自体が,先進国が新たな植民地主義を隠蔽するために利用している偽装イデオロギーでしかないという批判もある。報告では,こうした議論を吟味しつつ,途上国の視点に立って,サブシディアリティの原理にもとづくガバナンスの再構築が緊急な課題とされねばならないことを明らかにしたい。

グローバル・リフレクシヴィティはいかにして可能になるか
――環境の「構築」におけるコスモポリタンとローカル,そしてユニヴァーサル――

小川 葉子 (慶應義塾大学)

「環境」あるいは「自然」についての考察は,逃れることのできないイシューを,グローバライゼーション研究,あるいは社会学に突きつけている。A. ギデンズ,U. ベックらのモダニティをめぐる議論から,環境社会学のG. スパーガレン,A. モル,さらには,いまやカルチュラル・スタディーズからG. スピヴァクまで論争に参戦してきた現在,この争点から逆照射されることで,両研究分野は,自らの営みを反省し,変革する必要性を迫られている。そういったなかで,今回の報告の目的は,ただひとつ,他の二つの報告を別のパースペクティヴから逆照射し,再考することにある。そして結論を先取りすれば,この報告では,「現実主義」と「構築主義」の二項対立をこえて,「グローバル・リフレクシヴィティ」という概念とその重要性を提唱したい。

そのとき,私がよって立つ立場は,以下の三点に集約される。第一に,「環境」あるいは「自然」をめぐる社会的プラクティスをひとまず重視する立場をとることである。P. マクナハテンと,J. アーリに依拠しつつ,再確認したいのは,このプラクティスは,1)言説として編成され,2)身体化あるいは物質化され,3)空間性,4)時間性の両者をもち,5)行為,リスク,エージェンシー,信頼,さらには,6)表象などにかかわるという点である。

第二に,それを前提にした上で,環境とグローバライゼーションをめぐっても,かつ,U. ハナーツが論じたコスモポリタンとローカルというエージェンシーあるいは志向性の違いが存在するのかどうか疑う必要がある。

最後に,M. リンチを踏まえつつ,社会システムからインタラクションまで,さまざまなレベルで論じられてきたリフレクシヴィティが環境とグローバライゼーションをめぐる社会的プラクティスとどうかかわるのか,今後の可能性を示唆したい。

報告概要

高田 昭彦 (成蹊大学)

グローバリゼーション部会では、昨年は、国境を越える組織や問題からナショナルな枠組が問い直されつつある事態を受けて「国民国家」と「企業」を焦点としたのに対し、今年は、グローバリゼーションに対応するもう一つのエージェンシーとして「市民・NGO/NPO」に焦点を定めた。その根底には、社会学にとってグローバリゼーションをどう受け止めていくべきかという共通の問題意識がある。

4月7日に開催されたグローバリゼーションの研究例会とこのテーマ部会とは連動している。まず実際に活動しているNGOからの問題提起として、研究例会ではグリーンピース・ジャパンの事務局長・志田早苗さんから、グローバリゼーションに対抗している国際的な市民団体の具体的な活動とその理念を報告してもらい、テーマ部会では日本国際交流センターの事務局長・勝又英子さんから、複数の国際的NGOの活動調査を踏まえてNGOの国境を越えたネットワークの台頭からTransnational Civil Society実現の可能性を提起していただいた。

それに対して社会学の側からは、研究例会では干川剛史氏(大妻女子大学)から市民活動がもたらす「公共圏」とデジタル・ネットワーキングについて、テーマ部会では池田寛二氏(日本大学)から地球温暖化問題をめぐるグローバル・ガバナンスの欠陥とそれを克服するためのサブシディアリティの原則の提案、小川葉子氏(慶応義塾大学)からグローバリゼーションに対する3つの立場の概念化をもとに異なったまなざしのズレの間にいかにしてグローバル・リフレクシヴィティを構築していくかについて報告がなされた。さてここでは字数が限られているので、個々の報告を踏まえた後の部会での討議、すなわちグローバル・スタンダードの下に世界規模で貧富の差を拡大しつつあるグローバリゼーションに対して「市民・NGO/NPO」は果して対抗できるのか、について私的にまとめてみる。

現在、国際的NGOの連帯により、個々の多様な〈パブリック・グッド〉に基づく国境を越えたネットワークが形成され、それらがこれまで無視されがちであった国際社会の課題を議題に挙げ、国際協定や条約批准への働きかけとその検証のモニター役を果たしている。この状態はTransnational Civil Societyが現われていると言える。しかしこれだけでは、その影響力にどの程度持続力があるのか、グローバル・ガバナンスのメカニズムを新たに提供できるのか等に疑問がある。ここで大切なのはローカルで活動している草の根のCivil Society Organization(CSO)との連繋である。従ってとるべき方向は、このような国境を越えて連帯するNGOとCSOの「グローカル」なネットワークを軸に、国民国家(先進国と途上国)、国際機関、多国籍企業等のエージェンシー間を調整し、Global Conscience(地球の良心)の下に基本的人権や持続的発展を保証するグローバル・ポリティを創り出していくことである。そしてグローバリゼーションの社会学は、これら諸関係形成の経緯と条件、行動原則と理念等を明らかにすることに機能する。サブシディアリティはこの時の行動原則の一つに位置づけられるであろう。