第55回大会「自由報告部会」報告要旨・報告概要

第55回大会「自由報告部会」報告要旨・報告概要

大会トップ

第1部会:理論
第2部会:若者(1)
第3部会:人種・国家
第4部会:家族・ジェンダー
第5部会:社会運動
第6部会:歴史・自然
第7部会:若者(2)
第8部会:移民・エスニシティ
第9部会:文化
第10部会:職業・世代・移動
第11部会:身体・生命
第12部会:相互行為・生活/意味世界

 

第1部会:理論

報告要旨

第1報告

歴史の中のフーコー(1)――フーコーにおける「越境可能性」の再考

堀内 進之介 (首都大学東京)

 フーコー特有の系譜学的考察によって示された「現在の歴史」は、いまでは多くの分野で参照されている。とりわけ、権力論や統治論にフーコーが与えた影響は計り知れない。20世紀を代表する学者のひとりであるフーコーの仕事に関する研究は枚挙に暇がないが、その多くは彼の歴史記述のみならず、研究手法にも関心を寄せている。それに対して、本発表では、彼の歴史記述や研究手法に光を当てるのではなく、むしろ彼の関心(研究動機)を第二次世界大戦後の歴史的文脈の中に見出し、かつ位置づけることを試みる。

 フーコーがカントの『啓蒙とは何か?』の読解を通じて、カントの歴史的な役割を論じたのと同様に、フーコーの読解を解きほぐすことで、今度はフーコーの歴史的な役割についても考えてみたい。その際、批判的社会理論は重要な参照点になるのではないかと考えている。批判理論とフーコーの仕事とは、フーコー自身の説明にしたがって、連続性よりも相違点に注意が払われてきた。けれども、どちらもその歴史的背景に注目するならば、重要な共通点を見出せるように思われる。歴史の中のフーコーの役割を検討することで、批判的実践の現在のあり様や意義を改めて確かめられるのではないかと考えている。

第2報告

歴史の中のルーマン(2)――ルーマンにおける『社会の教育システム』の再考

鈴木 弘輝 (首都大学東京)

 N・ルーマンが生涯を通じて構築した「社会システム理論」は、今も様々な研究成果が発表されている。そして、それらは専ら「理論内在的」な観点からのものであり、「社会システム理論をいかにして精緻化するか」といった問題意識から行われているように見受けられる。それに対して、本発表は、「第二次世界大戦後の(西)ドイツ社会」といった歴史的文脈に照らし合わせるかたちで、ルーマンの議論を検討していきたい。その手がかりとなると考えられるのが、『社会の教育システム』という著作である。

 ルーマンには、『社会の~』と名づけられた一連の著作群がある。しかし、その中で最晩年に刊行された『社会の教育システム』にだけは、「システム」という言葉がつけられている。もちろん、ルーマン自身が他界してしまった以上、その真意は分からずじまいである。また、単なる編集上の過程で、何の気なしにつけられてしまっただけかもしれない。しかし、本発表ではそのタイトルの変化に、あえて「歴史的変化の影響」を読み取りたい。それはすなわち、ハーバーマスが「東西冷戦の終焉」を踏まえて自らの議論を変容させたように、ルーマンも現代社会の新しい局面の登場に触発されて、意図的に「システム」をタイトルにつけたのではないかと考えてみるということである。

 そして、本発表では、そのような観点から1980年代に書かれた過去の著作を振り返ることも予定している。このような試みは、すでにクリス・ソーンヒルの『現代ドイツの政治思想家たち』(2000=2004、岩波書店)で行われている。本発表は、このような先行研究を前提としながら、また別の角度からルーマンの諸著作を論じていきたい。

第3報告

『再生産について』再考――アルチュセール・イデオロギー論の再考と可能性

今野 晃(専修大学・東京女子大学)

 本発表の目的は、仏の理論家、ルイ・アルチュセールのイデオロギー論を現代的な視点より再考し、その可能性を探ることにある。彼のイデオロギー論は、国家のイデオロギー装置という概念を提起することで、それ以前のマルクス主義的国家観に新しいconceptionを与えた。それによって、国家の問題を新たに日常の側から捉えなおす契機をもたらした。他方、この概念は人間の服従性しか見ておらず、その主体性を省みないと批判された。

 しかし、1995年に仏で公刊され、2005年にその邦訳が刊行されたイデオロギー論の草稿(『再生産について』平凡社)を考慮するとき、彼のイデオロギー論が上のような論点に限定されず、より広い射程を持つことが明確になる。本発表ではまずこの点を明確にする。

 彼の草稿は400ページにもおよび、そこで扱われる主題は多岐に渡るが、例えば19世紀の仏における経済市場の形成(国家主導による)を背景として「自立した個人=主体」のイデオロギーが生まれたことを分析しつつ、そのイデオロギーがnationの形成に如何に貢献し、またそれが階級関係の中でどのような帰結をもたらしたのかを検討している。あるいは、草稿の編集者であるジャック・ビデも指摘するように、この論稿における法をめぐる議論は、デリダの議論にもつながりうるものである。

 このような論点・視点から彼の草稿を検討するならば、一見すると既視感にあふれた彼のイデオロギー論にも、現代的意義があることがわかる。本発表ではこの点を明確にする。

第4報告

ハンナ・アーレントにおける共通感覚論をめぐって

橋本 摂子(東京工業大学)

 古来から共通感覚(sensus communis)は、二つの位相において語られてきた。一つには五感に共通し、五感を統合する見えない内的な感覚(=第六感)として、二つには人々に共通し、人々が共有する外的な感覚(=常識)としてである。周知のように、カントは共通感覚を美的判断の根拠として規定した。本来、美の判定は個々人の趣味にもとづく。にもかかわらず、美とは単なる主観の域を超えて人々に共有される社会的な現象である。カントは、趣味判断に他者からの同意を求められるのは、あらゆる主観に共有される美についての感覚、つまり共通感覚が存在するためだと考えた。

 アーレントは、カントによる美的判断が正不正の判断に拡張できると考えた。それはしばしばアーレントをアリストテレス主義に結びつけてきたが、彼女はたとえばフロネーシスのような共同体感覚によって正不正が規定されると考えたのではない。というのも、彼女は共通感覚を単に正不正の規準としたのではなく、美しさや正しさよりもはるかに根源的な、世界の実在性(リアリティ)についての感覚だとみなしているためである。

 アーレントにおいて共通感覚の存在根拠は、人間の認識能力の同一性ではなく、われわれが複数の人々と同じ世界を共有しているという世界の同一性に見出される。人間の「複数性」と呼ばれるその事実は、いっさいの伝統から断絶した現在において、公的世界を築いていくための唯一所与の真理として、アーレント政治思想の中心に位置している。

報告概要

奥井 智之(亜細亜大学)

 堀内報告は、カントの『啓蒙とは何か』に関するフーコーの読解を再読解することを通じて、さらには同じくフーコーのカント読解を再読解したハーバーマスのフーコー解釈の不当性を指摘することを通じて、フーコーが「越境可能性」をもつ闘技的実践として自身の学問的営為を位置づけていたことを再確認、再評価しようとした。鈴木報告は、ルーマンの社会理論の変遷を、1960年代後半以降の(西)ドイツにおける社会的文脈の変化のなかに位置づけようとする試みで、具体的には、教育システム論のメディアが「子ども」から「ライフコース」に変更されたこと、政治システム論における「新しい社会運動」の評価に変化が見られることなどが取り上げられた。今野報告は、アルチュセールの有名な論文『イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置』の草稿(『再生産について』)が、現在の社会的文脈のなかで再読されるべき固有の意義をもつことを主張し、具体的には、そこでの見解は、今日の「市場主義」あるいは「能力主義」イデオロギーの批判にも適用可能であることが指摘された。橋本報告は、従来の共通感覚論の系譜をたどった上で、アーレントの共通感覚論がまったく独自の性格をもつことを強調するもので、具体的には、ホロコースト以降の、いっさいの道徳的判断の無効化する状況のなかで、人々に世界の実在性を保証する要因として、アーレントが共通感覚を位置づけようとしていることが指摘された。

 

第2部会:若者(1)

報告要旨

第1報告

不登校・ひきこもり・就労困難にみる若者たちの問題
――東京都との連携研究の成果から[PP使用]

玉野 和志(首都大学東京)

 本報告を含む4つの報告は首都大学東京の社会学研究室が2005年度から2006年度にかけて東京都と行った連携研究の成果にもとづくものである。それらは相互に関連しているが、それぞれ独立した報告になっている。第1報告に当たる本報告では、連携研究の経緯とその成果の概要について述べる。

 この研究は2005年度に当時話題になっていた「ニート」などの若者たちの問題について考えるための基礎研究として行われた。初年度の成果としては、ニートといっても日本の場合、働きたいのに働けないというひきこもりとの連続性でとらえられることが多いこと、フリーターを含めてそれらの問題は何よりも90年代以降の非正規雇用の拡大という構造的な要因によるものであることが確認された。

 これを受けて次年度には主としてひきこもりへの政策的な支援を考えることが要請された。検討の結果、改めて「ひきこもり」の問題とは何かが問われ、不登校や就労困難(ニート)も含めた若者たちに見られる社会関係の忌避が特徴であり、それらは思春期における自己形成の課題と関連していることが想定された。しかも、それはある世代以降に顕著になっていることから、自らの社会的位置づけを確認するという思春期の課題の克服を困難にする社会的な変動が起こったという構造的な背景を考える必要のあることが、仮説的に提示されることになった。

 以下に続く3つの報告は、これらの成果を生むに至った個々の知見や独自の関心について、それぞれ論ずるものである。

第2報告

不登校問題への行政による対処の現状と問題点[PP使用]

岩田 香奈江(首都大学東京)

 本研究プロジェクトでは、不登校が「ひきこもり」や「ニート」といった若者の社会的紐帯からの撤退に結びつく契機となっているという問題認識に基づき、その政策的対応を考えるために、東京都下の各行政機関における不登校対策の現状についてヒアリングを行い、問題をもたらす諸要因について議論を重ねてきた。

 本報告の前半では、東京都における90年代以降の不登校の急増傾向に着目し、マクロ統計を用いた分析により、その要因について弱冠の考察を加える。市区町村別不登校発生率の推移と社会指標の関連を明らかにし、階層構成や再都市化など社会構造的要因の影響について検討する。

 後半では、都行政による不登校問題への対処の現状と、その問題点について言及する。都教育委員会では、文部科学省の基本方針に基づき、「教育相談体制の充実」をスローガンにスクールカウンセラーの設置・適応指導教室の整備などの施策を行い、一定の成果を挙げている。しかし、心理関係の専門家が中心となって問題に取り組んできた経緯からか、対症療法に終始する傾向があり、前半で検討した社会構造的要因は殆ど考慮されていない。また、「教育相談体制」のもとでは、相談主体=問題を抱えている人々とみなされる傾向が強く、深刻なケースが表面化しない可能性もヒアリングから明らかとなった。保護者が問題解決に積極的でない「怠学」的な不登校や、保護者が子どもを家に閉じ込める「登校禁止」といったタイプの不登校に関しては、現行の制度では対応が非常に困難である。

第3報告

若者たちの職場への適応の困難
――東京都しごとセンター就職カウンセラーの聞き取りから[PP使用]

村木 宏壽(法政大学)

 本報告は、「東京しごとセンター」における就職カウンセラーからの聞きとりから、若年者の職場への適応の困難について、その現状と背景としての雇用環境の変化や職場内の人間関係の実態について紹介するものである。

 「東京しごとセンター」の若年者雇用・就業支援事業において、利用者の約半数が受ける個別カウンセリングは中心的な役割を担っている。相談者は大別して①自分の職業適性に対する迷い・不安を訴える者と、②職場に適応できない、あるいは就業中の失敗によって離職した者とに分けられるという。①については、現在の支援プログラムによって円滑に就業まで結び付けやすいが、②の場合は深刻である。一度職場で強い挫折感、恐怖感を覚えた人々には、現行の支援プログラムを受けることすら困難な状況となり、次のステップに踏み出せなくなってしまっているケースもある。このような若者の出現には、彼ら自身のコミュニケーション能力や就業意識の未成熟、労働に関する知識の欠如などの個人的要因も無視できないが、近年の雇用環境や職場内人間関係の変化、とりわけ成果主義導入や労働力の非正規化/専門化・流動化による影響を検討する必要がある。

 報告では、まず「東京しごとセンター」の支援事業と利用状況、就職カウンセラーへの聞きとりにおける何人かの相談者の離職の原因を紹介し、それをふまえた上で現在の支援事業の限界と今後の課題について考察する。

第4報告

「ひきこもり」からの<回復>とは何か

石川 良子(横浜市立大学)

 本報告は、当事者へのインタビューをもとに、「ひきこもり」とは一体どのような経験であり、またそこからの〈回復〉がどのように捉えられるのか論じるものである。

 「ひきこもり」は一般に “家族以外の他者との交流が長期にわたって失われた状態”と定義されており、まずもって対人関係の獲得が〈回復目標〉とされてきた。ところが3~4年ほど前から、対人関係を取り戻した後、なかなか就労に結びついていかない当事者が目立ち始め、就労の達成が〈回復目標〉として強調されるようになっている。こうした傾向は、2004年に「ニート」がにわかに注目を集め、その概念が「ひきこもり」支援にも導入されてから、よりいっそう顕著になっている。しかし、対人関係の獲得であれ就労の達成であれ、〈社会参加〉を〈回復目標〉とすることは果たして適切なのだろうか。

 インタビューからは、以下のようなことが明らかになった。「ひきこもり」の当事者は、ひきこもる以前に自明視していた生き方から外れることで、自身の存在意義や、働くことの意味などを問わざるを得なくなっている人々と捉えられる。この観点からすれば、〈社会参加〉を果たすこと(あるいは社会に適応すること)よりも、むしろ実存的な諸問題に折り合いをつけ、自己や他者に対する根源的な信頼感を醸成することが、当事者にとっては極めて重大な課題となる。

報告概要

中西 新太郎(横浜市立大学)

 本部会では、東京都との連携研究の結果得られた、不登校・ひきこもり・就労困難の若者たちの問題について、カウンセリング対応の限界や社会構造に関する経年データの必要等、総括的に述べた松野報告に続き、不登校対策(岩田報告)、就労プロジェクト(村木報告)、ひきこもりからの回復(石川報告)の各分野にわたる報告が行われ、フロアとの活発な質疑応答があった。議論のなかでは、不登校発生率の地域特性と社会構造とのかかわり、エンプロイアビリティに特化した就労支援の問題性と就労支援スキームのあり方、ひきこもりからの「回復」における就労観念のとらえ方などについて、それぞれフロアと報告者とのやりとりがあった。量的・質的調査データに裏付けられた報告に対し、そこにふくまれる理論的含意ならびに若者問題へのアプローチ法が問われ、議論を通じて深められたと言える。

 松野報告・発言で強調されたように、本部会で報告された若者たちの困難は、「対人関係の処理の問題」ではなく、したがって、各報告で指摘されたような、個別のいわばカウンセリング型対応によって対処する手法には限界がある。松野報告では、「自らの社会的位置づけを確定する自己形成の課題」が普遍的に存在すると指摘されており、そうした思春期問題の側面をとらえるならば、問題は教育分野にも投げかけられることになる。ヒヤリングを通じてこうした「問題圏」があきらかにされたことが、若者の抱える困難と社会構造との関連に対する注目とならんで、本報告の意義と言える。

 

第3部会:人種・国家

報告要旨

第1報告

指紋法による身体の管理
――日本における指紋法の需要と目的をめぐって

高野 麻子(一橋大学)

 本報告では、日本における指紋法による身体の管理の歴史に焦点を当て、この個人識別法が誰を対象に何を目的として需要され、使用されてきたのかについて考察を行う。指紋とは、唯一無二の個人の身体的特徴であり、それゆえ指紋によって人間を識別する指紋法は、個々人が自己を語ることなく、個人を「確実に」識別、登録、さらには分類することを可能にした。

 これまで日本における指紋法の利用については、犯罪者管理や戦後の主に在日朝鮮・韓国人を対象とした外国人登録法にかんする議論が中心的であった。しかし、1908年の導入以来、満州における労働者管理や国民手帳法での使用、さらに戦後、外国人登録法の制定とほぼ同時期に、全国民指紋登録を目指すべく、国民指紋法が実現に向けて国会で議論されていたのである。さらに任意ではあるものの、愛知県をはじめ、いくつかの県では県民指紋制度が機能していた。

 このように日本への指紋法の導入から約1世紀のあいだに、さまざまな場面で、使用が計画され、実行されてきたのである。こうした事実は、日本における指紋法をたんに排除と差別の手段としてのみ語ることを困難にすると同時に、指紋法が日本の戦前、戦中、戦後といった20世紀の大きな三つの局面とぴったりと重なり合うなかで、需要され、使用されてきたことを示している。

 こうした事実を踏まえたうえで、20世紀の植民地統治と国民国家形成・維持における身体の管理が、指紋法という共通の技術のもとで、それぞれ対象と目的を変えながら行われた経緯と、指紋法による身体の管理をたんに排除と差別の手段として捉える視点を批判的に考察することを本報告の目的とする。

第2報告

ネーションとステートの亡霊的関係

新倉 貴仁(東京大学)

 本報告は国民国家を構成する「ネーション(国民)」と「ステート(国家)」という二つの概念の関係についての理論的検討を通じ、ナショナリズム論の新たな視座を獲得することを目的とする。

 ネーションとステートを混同する問題点については、多くの論者によって指摘されてきた。しかし、その混同自体が起りえることの意味は十分に論じられてきていない。異なるものが同一のものとして語られるということは、ネーションとステートを別の関係性において捉え必要性を示唆しているのではないだろうか。

 従来の国民国家論では、ネーションの創設主体としてステートを措定することによって、両者を接合させてきた。ゆえに、ネーションとステートは同一視され、ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」というフレーズは、国家を虚構とみなすものであると誤読される。だが、アンダーソン自身の議論は、ネーションとステートの両者を峻別し、制度としてのステートに対して、ネーションをその外部に置くものである。このような対抗的関係は、アンダーソンが自らの議論の支えの一つとするプラムディヤ・アナンタ・トゥールのナショナリズムの語りにも共通する。しかし、この対抗的関係が、誤読に晒され、現実において裏切られ続けるとき、別の関係性が浮上する。本報告では、ジャック・デリダの「憑在論hauntology」を援用するフェン・チャーの議論の検討を通じて、この関係性の可能性を探っていく。

第3報告

世界的リスク、世界的連帯、コスモポリタン・デモクラシー

本田 量久(立教大学)

 K・フォルクスは、政治社会学を「国家権力と市民社会の間の相互権力関係の学」と定義している。これに従えば、R・ダールの研究は、第一に、構造的制約の下にありながらも、排除構造の変革を試みる被抑圧集団の能動的実践と、第二に、安定的な秩序を図るという統治戦略から、民意に対して敏感に反応することが要請される国家権力の介入政策についてそれぞれ論じ、国家システムと社会の双方向的な関係性に着目しながら、民主化の動態を明らかにしたという点で重要な政治社会学的業績であると評価できる。

 しかし、K.・ナッシュが「国民国家のレベルでの政治に焦点を合わしてきた」と「従来の政治社会学」を批判するように、ダールの政治理論は、グローバル化した現代政治のあり方を理解するうえで困難が伴う。実際、今日の政治的争点となっているいくつかの深刻な問題は国境を超えた問題となっており、その解決には、グローバルな危機認識と連帯意識を媒介とした、国家の介入政策や国家間協調を欠くことはできない。

 本報告では、国境を超えた社会運動、国家の統治戦略、国際的諸制度の間に働く動的な関係性に着目し、世界的な危機状況の乗り越えの可能性を示すコスモポリタン・デモクラシー理論が単なる理想論ではなく、現代民主主義の動態を理解するうえで有効かつ現実的な視点であることを明らかにする。

第4報告

ネイションの平等的価値と保護主義への移行
――19世紀末フランスにおける外国人問題から

宮崎 友子(立教大学)

 自己統治を基礎にした一民族(ネイション)・一国家制度を体現する国民国家(ネイション=ステイト)という制度は、すでに多方面からその虚構性と暴力性が明らかにされ、批判に曝されてきた。それにもかかわらず、現実の国家はやはり優越的な文化を持つ集団(マジョリティ)に支配され、マイノリティの周辺化は取り残されている。

 スミスやゲルナーはなぜこれほどにネイションという概念が顕在化し、持続的な力を持ちうるのかを歴史的視座にたって説明したが、前者は生まれによって獲得する地域的・民族的文化の歴史的正当性に対するつよい愛着を、後者は近代化によってメリトクラシーが普及するなかで、支配集団のもつ高文化獲得が各個人の社会的地位上昇と安定を担保するという機能を強調した。いずれの論者にとっても、ネイションが文化集団であり、国民国家とはこうしたひとつの文化集団が国家の地位を獲得した状態を指すことは明らかである。

 しかし、18世紀フランスの文脈ではネイションは権利を持たない大衆を意味したこともあり、その意味で王政打倒から国民国家としての第三共和政へいたる100年は、大衆の政治的解放と平等を獲得する過程であった。この文脈ではネイションは特権を排して平等を獲得した市民であり,国民国家は市民の平等を確保する手段となる。本報告では,ネイションを文化と民族から切り離した解放の政治的価値としても定義できることを確認し,その平等的価値のために人々に深く浸透し支持を得たことと,平等的価値のために既得権層が保守化したことを論じる。

第5報告

移民企業家のトランスナショナルなネットワーク形成

福田 友子(東京都立大学)

 滞日パキスタン人は、他の移民集団に比べて、自営業者や会社経営者といった企業家の占める割合が高い。そして滞日パキスタン人企業家の多くは、中古車輸出業に携わっており、中古車輸出業はパキスタン人業者のニッチとなっている。パキスタン人業者は、薄利多売のビジネス・スタイルを特徴としており、日本の中古車業界において一定の存在感を示している。

 このような中古車輸出業を支えているのは、パキスタン人企業家によって形成されたトランスナショナルなネットワークである。その主な拠点は、日本、パキスタン、アラブ首長国連邦である。まず日本とパキスタンの間で、1960年代から少しずつ中古車貿易の土台が形成され、1980年代後半のニューカマーの来日とバブル経済崩壊を経て、滞日パキスタン人の中古車輸出業者が急増した。さらに1990年代前半に、パキスタン向けの輸出が規制されると、アラブ首長国連邦が中古車中継貿易の重要な拠点となり、パキスタン人業者が移転、集積し始めた。そして2000年代前半、パキスタン向けの規制が緩和されると、この3カ国をつなぐトランスナショナルなネットワークの意義がさらに増した。またこの3カ国を中心として、他のアジア、オセアニア、アフリカ、ラテンアメリカといった世界各地の中古車市場を結ぶネットワークが、パキスタン人業者によって形成されている。

 このような移民企業家のトランスナショナルなネットワーク形成を可能にした要素はどこにあるのだろうか。パキスタン人の中古車輸出業の事例から、考察を試みる。

報告概要

庄司 興吉(清泉女子大学)

 第3部会は「人種・国家」と題されていたが、「民族・国家」が正しい。5つの報告があり、それぞれの報告のあと簡単なやりとりが行われ、最後に30分ほど総括討論を行った。

 5つの報告のうち3つは、いわばナショナリズムの歴史的展開に関わるものである。宮崎友子の第4報告「ネイションの平等的価値と保護主義への移行:19世紀末フランスにおける外国人問題から」は、19世紀末フランスの外国人問題を取り上げ、革命の歴史をつうじて平等と参加の内包を獲得したNationの概念が、外国人労働者の出現に直面して排除的保守的な意味を帯びていく過程を追っている。新倉貴仁の第2報告「ネーションとステートとの亡霊的関係」は、ネーションとステートとの(相互)包摂的な関係が、近代史の展開とともに対抗的関係に転じ、やがて互いにとってそれぞれが「亡霊」となるような関係になってきたことを論ずる。ネーションがステートを憑依し、ステートがネーションを憑依するような関係性は、「国民国家の構築性」を暴き出してきたばかりでなく、新たな「他者性」を浮かび上がらせてきた。本田量久の第3報告「世界的リスク、世界的連帯、コスモポリタン・デモクラシー」は、考えようによっては、この他者性を「世界的リスク」と受け止め、それに対処する「世界的連帯」を獲得するために、「コスモポリタン・デモクラシー」を模索しているものとも取れる。高野麻子の第1報告「指紋法による身体の管理:日本における指紋法の需要と目的をめぐって」が指摘する「自発的認証」による個人の国家からの解放も、福田友子の第5報告「移民企業家のトランスナショナルなネットワーク形成」が伝える「エスニック・ビジネス」の生々しさも、民族と国家をめぐり、それらを越えて、何か世界的地球的なものに向かっている現代史の、したたるような軌跡を示しているのではないか?

 

第4部会:家族・ジェンダー

報告要旨

第1報告

看護職における医療化・ジェンダー化・職業化と女性のハビトゥス・プラティック

佐藤 典子(東京大学・慶應義塾大学)

 本研究は、看護職の担い手の多くが女性であることと看護職の関係についてフランスの事例を中心に歴史的に明らかにするものである。現代の看護が日仏を問わず、多くの文化圏で女性が行う職業であり、社会においても自明視されている点について、看護職と女性らしさを結びつけていく過程をブルデューの「ハビトゥス」概念をもとに考える。

 研究の手法は、19世紀のフランスの女医A・E・アミルトンによる世界各国の看護を比較研究した博士論文(1900)と看護の歴史について記した著書(1901)を中心に当時の思想家、医師たちが記した著書、看護学校創設の記録などから、当時の人々が看護をどのようにとらえ、近代看護と女性がいかにして結びつくようになったのかを検証する。

 そもそも、第三者による看護のルーツは、当初、男性騎士修道士によって行われ、19世紀までは男性修道士だけでなく、多くの男性が看護にたずさわってきた。しかし、19世紀末から20世紀にかけて、看護が女性にふさわしい行為であるという言説が多くの地域で広まり、看護の担い手とりわけ、職業看護の募集において、看護学生や見習いたちの性別が女性に限定されるようになる。このように看護が近代化の過程でジェンダー化されることと看護が「女らしい」という点で評価されるようになることのつながりをブルデューのセクシュアリティ研究や行為理論から考察したい。

文献:『看護職の社会学』専修大学出版局2007佐藤典子

第2報告

子育て支援NPOにおける「ケアラーとしての男性」

堀 聡子(東京女子大学)

 近年、ジェンダー平等の視点からケアの領域についての検討が進むなかで、「ケアラーとしての男性」への関心が高まりつつある。「ケアラーとしての男性」に関しては、これまで主に、家庭における父親を対象とした研究や、男性保育士などの職業としてのケアラーに注目した研究が蓄積されてきた。しかし、現在では、家庭や職場におけるケアラーに加えて、地域コミュニティにおけるケアラーの役割も重要性を増している。

 よって、本報告では、地域コミュニティのなかで新たに出現している子育て支援NPOで活動する男子学生ボランティアへの聞き取り調査とNPOへの参与観察を通して、「ケアラーとしての男性」の出現が、主に女性が中心となっている子育て支援NPOの「場」に与える影響を考察する。また、彼らにとって、ケアの意味とは何か、日々のケアの実践の中で、どのようなケア意識、ジェンダー意識、アイデンティティを構築しているかもあわせて考察する。

 女性(母親)が主な担い手である子育て支援NPOに男子学生が関わることは、ケアのジェンダー公正な分かち合いの可能性を秘めているとも考えられるが、男子学生たちが男性役割を担うことによるジェンダー再生産の危険性もはらんでいる。これは、「ケアラーとしての男性」の登場が、必ずしも既存のジェンダー秩序を変容させるものではないことを示唆している。一方で、男子学生たちが、子育て支援NPOに関わる中で、ケア意識、ジェンダー意識を変容させている側面もあることを報告する。

第3報告

結婚相手にもとめる条件にみるジェンダー差と地域差
――『北京晩報』と『新民晩報』の結婚相手の募集広告の分析

王 岩(首都大学東京)

 中国では結婚相手の選択における昔から「門当戸対」(家柄・身分がつりあうこと)、「郎才女貌」(男は才能、女は美貌)という成語がある。つまり前近代中国社会においては、家柄の釣り合う同類婚が認められていた。その上ジェンダーによって結婚相手にもとめる条件は差異が存在することを示していた。

 ところが、共産党政権の確立、経済体制の改革などの社会変動を経て、現代中国における結婚観および結婚相手にもとめる条件はどう変容しているか。これに対して本報告では北京と上海で発行されるローカル紙の『北京晩報』(北京)と『新民晩報』(上海)に掲載された結婚相手の募集広告の分析結果の報告を行う。

 本報告では『北京晩報』(北京)と『新民晩報』(上海)に掲載された結婚相手の募集広告を抽出し、分析を行った。分析は以下の3点に焦点を当てることにする。1)ジェンダーによって男女広告主が結婚相手にもとめる条件の差異、2)北京、上海それぞれの地域性によって結婚相手にもとめる条件の差異、3)社会的属性(学歴、職業など)における同類婚傾向があるか、である。

 本報告では結婚相手にもとめる条件の変容を通して現代中国における婚姻観の変容及び多様な社会問題の解明に寄与するのではないかとおもわれる。

第4報告

家族・仕事・アイデンティティ――パート主婦にみる女性たちの社会意識

德久 美生子(武蔵大学)

 育児が一段落してから再就職する女性たち。彼女たちの多くは、1週間に36時間以下のパート労働を選択する。パート労働に従事する主婦たちは、フルタイムで働く主婦たちと専業主婦との間にあって既婚女性労働者のマジョリティを形成している。

 ところが、これまでパート主婦たち自身の考え方やものの見方が彼女たち自身の言葉で語られる機会は、ほとんどなかった。報告者は、パート主婦たちを中心に、正社員の主婦や専業主婦も含めた35歳から55歳までの主婦たちに個別インタビューを実施した。本報告では、インタビュー調査の結果得られたパート主婦たちの発言を紹介し、彼女たちの職業意識、家族意識、アイデンティティという視点から、パート主婦たちの姿を明らかにしていきたい。

 主婦たちがパート労働を選択して働く理由は様々であった。けれどもパート労働は、彼女たちにより開かれた社会関係を提供していた。働くことで得られる人間関係、子供を通じた学校や近隣の人々との関係、実家の両親も含めた家族との関係など、パート主婦たちはより多様な社会関係を大切にしていた。とりわけ着目されるのは、多様な社会関係の中で自らの役割を果たしていること、ここにパート主婦たちのアイデンティティの源があることである。本報告では、暫定的な結論として、パート主婦たちによる多様な社会関係での役割遂行が、どのような社会のあり方と関与するのかを提示する予定である。

第5報告

家族介護に必要な連続休暇と介護休業

池田 心豪(労働政策研究・研修機構)

 育児・介護休業法により、労働者は、勤務先の規定にかかわらず、対象家族1人につき要介護状態に至るごとに1回、通算93日まで介護休業を取得できる。法制化当時、介護休業への期待は大きいものだったが、その取得者は少ない。家族介護のために仕事を休む必要が生じた労働者は、年休取得や欠勤など、介護休業以外の方法で対応している。だが、そもそも休業でなければ両立が難しい連続休暇を労働者が必要としているのかさえ、実態はこれまでほとんど明らかになっていない。

 そこで、家族介護のために労働者はどの程度の連続休暇を必要としているか明らかにする。この観点から、どの程度の連続休暇を必要性とする労働者がどのような方法で休んでいるか、家族介護のために退職した労働者はどの程度の連続休暇を必要としていたか、明らかにしたい。

 アンケート調査の分析結果から、① 家族介護のために連続休暇を必要としても、多くの場合は2週間未満と短期であること、②2週間未満の連続休暇を必要とする労働者ほど家族介護のために年休取得や欠勤等の経験があること、③3ヵ月以上の連続休暇を必要とする労働者ほど介護開始当時の勤務先を退職していることが明らかとなった。要するに、家族介護を担う労働者の連続休暇の必要性と休業期間・取得回数の規定に乖離がある。介護休業制度が利用されるためには、休業期間の延長と複数回取得の規定により、短期・長期双方の連続休暇の必要性に対応することが重要である。

報告概要

出口 泰靖(千葉大学)

 第4部会では、テーマが「家族」あるいは「ジェンダー」に関わる報告を5名の方が行われた。まず、佐藤典子氏の報告「看護職における医療化・ジェンダー化・職業化の過程-女性のハビトゥスとプラティックについて」では、日本とフランスの看護職の歴史と現状を追うことで、看護が女性の仕事として多くの文化圏で長きにわたって定着した背景についての考察が報告された。次の堀聡子氏の報告「子育て支援NPOにおける『ケアラーとしての男性』」では、子育て支援NPOにボランティアとして参加している男子学生に着目し、「ケアラーとしての男性」である彼らの実践が、ジェンダー規範とどのように関連しているのかについて考察がなされた。そして、王岩氏の報告「中国の都市における結婚相手にもとめる条件にみるジェンダー差-『北京晩報』と『新民晩報』の結婚相手の募集広告の分析-」では、中国都市部の新聞紙の結婚相手の募集広告を分析することで、現代中国都市における人びとが結婚相手にどういう条件を求めているのか、その条件にみられるジェンダー差について検討する、というものであった。さらに、徳久美生子氏の報告「仕事・家族・アイデンティティ-パート主婦を中心にみた女性達の社会意識-」では、短時間労働のパートタイマー主婦たちの家族や仕事やアイデンティティの三つの観点から、女性たちの非正規労働がもつ時代特性について、パート主婦である当事者自身にインタビュー調査を試み、考察したものであった。最後の池田心豪氏の報告「家族介護に必要な連続休暇と介護休業」では、家族介護を担う労働者の多くが、年休取得や欠勤・遅刻・早退で仕事を休みながら介護をしており、介護休業制度がほとんど利用されていない現状について要介護者と同居する労働者のアンケート調査を分析することで、現行の介護休業制度は家族介護を担う労働者の実態に対応していないことを指摘し、介護休業制度を利用しやすくするために休業期間の延長と複数回取得の必要性を訴えられた。

 各報告とも、フロアから熱心な質疑応答がなされ、佐藤氏の報告の「看護職を女性が選択するのは単なる性別役割分業の受容ではなく、こうした支配を見据えた、むしろ戦略として意図的に行っている」という指摘に対し、その戦略性のありようについて議論が行われた。堀氏の報告では「子育て広場」という場における男子学生ボランティアの存在と彼らの「遊びの実践」によってこれまでの母子に固定化されたケアを脱構築する可能性があるとの堀氏の指摘には、男子学生ボランティアの実践が逆にジェンダー規範を強化する面も否めないのでは、との意見も出された。さらに、王氏の報告では新聞広告のデータだけでは中国人の男女の結婚観とそのジェンダー差を一般化するには十分ではないのでは、との意見も出された。司会者としては、看護、育児、婚姻、パート労働、介護の領域に関する調査研究にはジェンダーの側面からの考察が不可欠なのだが、そうした領域にジェンダーの枠組みがあることを指摘するだけでとどまるのではなく、今回の報告のようにさらにもう一歩踏み込んだ考察の必要性を感じた次第である。

 

第5部会:社会運動

報告要旨

第1報告

次善としてのナショナル・アイデンティティ
――北海道と東京の保守的市民団体の調査から

見上 公宏(北海道大学)

 本報告は、保守的市民団体の調査に基づき、草の根といえる次元でナショナリズムを支える人間の特徴に関する報告である。報告の目的は、現代社会の状況とこうした運動との関連を明らかにすることである。「社会運動」を研究する上で重要なことは、当該社会運動の名目、全体社会内での運動の位置づけを無批判に研究の前提としないことである。当該の集団・運動が、自らにとっての目的や活動として関連させているものが、一義的に集団の内部や外部にとって死活的なものである事を意味しない。運動の意味を明らかにするためには、外形的特徴(主張や活動)だけでなく、運動内部の成員の特性も把握する必要がある。

 本報告の調査は、参与観察、インタヴューと質問紙を使用して、2004年8月から2006年末の期間に行われた。対象は北海道の市民団体(R会)と東京を活動の中心とする市民団体(V会)である。R会の目的は「日本という国の悠久の歴史を敬愛する観点からの住民の啓蒙」で、主な活動は、講演会・勉強会の主催、護国神社参拝である。成員は13名、年齢は20代後半から30代後半である。V会は2006年に、インターネット上で声をかけて、「皇室典範改正の阻止」を目的として設立された。成員は、20名以上で成員の居住地や年齢も広範囲に渡っている。活動は勉強会が中心である。

 調査を通じて明確になった成員の特徴は以下のものである(結論は当日に発表する)。政治的志向は存在するが、多くの場合、抵抗されている。大部分の者にとって、活動は政治活動とは方向性の異なったものである。右翼の流れを受ける者を除き、成員に共通している点は、既存の権威・価値体系への強力な疑い、あくまで比較優位としての保守的価値の支持、自発性(自らの行為によって目的が達成できるとの感覚)の欠如、職業・地域・性差といった拠るべきアイデンティティの基盤の揺らぎ、評価の忌避などであった。あえて否定的なアイデンティティ(自らが馬鹿にする右翼的なそれ)に一体化しようとする者も多く見られた。

第2報告

「文化交流という入口」から
――「アイヌ文化振興法」成立以降の運動を中心に

伊藤 奈緒(東京大学)

 1997年に制定された「アイヌ文化振興法」は、参政権、民族自立化基金の創設などの権利や、アイヌ民族に対する差別や収奪の歴史の記述を抜きにして成立した。この法改正と呼応するように、その後活発化したアイヌ民族との文化交流や啓発活動もまた、歴史や不平等の問題を語らずに一面化されたアイヌ民族のイメージだけを流布し、多数派日本人の願望を反映したアイヌ民族像を構築してきたという指摘は多くなされている。

 しかし、「アイヌ文化振興法」の問題性は前提であっても、アイヌ民族との文化交流自体とアイヌ民族の権利獲得運動と相対する両極のものとして捉えることは当然のことながらできない。アイヌ民族にとって文化を通した活動が抵抗の手段ともなりえたように、アイヌ民族の文化に触れた多数派日本人がそれをきっかけに歴史や不平等の問題を自分と関係しているものとして捉えられるかどうかが問われるべき論点ではないか。

 したがって本報告では、これまで批判的に分析されることが多かった文化交流という活動をアイヌ民族の権利運動と独立したものとして対比させるのではなく、むしろ両者を連続させていく試みに着眼したい。具体的には「文化振興法が良かった悪かったではなくて」という支援者としての運動参加者の見方が何を意味するのか、かれら自身が「入口」という「アイヌ文化振興法」成立以降の活動であるからこそ、どのような可能性が見出せるのか、北海道の事例から検討してみたい。

第3報告

戦後日本における<市民であること>の変容とボランティアの「終焉」

仁平 典宏(日本学術振興会)

 現在、ボランティアの隆盛がおこっているが、その陰で静かに進行しているのがボランティアの「終焉」というべき事態である。例えば、2000年以降、長い間ボランティア活動の普及に努めてきた諸団体が、相次いで「ボランティア」という語から距離を取り始めるなど、この事態は徴候的な形で様々に見出すことができる。これは一体何を意味しているのだろうか。

 本報告では、この現象の意味を的確に捉えるため、戦後の日本における「市民」をめぐる意味論の中で「ボランティア」という語の位置の変化について考察していく。終戦から20年の間は、ほとんどその場所を見出すことができなかった「ボランティア」の語は、特に1970年代以降、「市民活動」の典型的な一つとして、様々な行為に適用可能な思想財として用いられるようになっていく。それは、「運動か動員か」という既存の二値コードから逸脱する領域を一般化していくとともに、様々な「活動」の可能性をその領域の中へと縮減し、それを通して「国家/市民社会」という問題設定をも規定してきた。それは「市民であること」をめぐる問題系を、「政治」から「贈与-交換」の意味論の中へと転位させていくものだったと言えるだろう。これに対し、現在の「ボランティア」の語をめぐって生じている変化は、上記のような形で過去20年にわたって構成されてきた「市民」をめぐる意味論の、新たな変化を示しているように思われる。

 この点を確認していくために、戦後から現在に至る「市民」及び「ボランティア」に関するドキュメント資料とインタビューデータの分析を行い、「市民」をめぐる意味論の中での「ボランティア」の位置価の変容とその意味について検討していく。

第4報告

「教会アジール」――ドイツにおける市民の難民保護運動

昔農 英明(慶應義塾大学)

 今日ヨーロッパではフランスの「サンパピエ問題」に見られるように、非正規滞在者・不法移民に関する問題が移民研究の中心的課題の1つになっている。ドイツでも1993年に難民の庇護(Asyl)を定めた基本法(憲法)庇護権規定が改正されて、これまで以上に難民認定が厳格に行われるようになると、庇護申請を却下された人々や不法移民など法的地位の不安定な外国人が増えるようになった。こうしたなか、キリスト教会の人々などが、中世の時代に存在していた「教会アジール(Kirchenasyl)」という教会の「伝統」を盾にして、難民を保護する運動をここ20数年活発に行うようになっている。そこで本報告では、現代ドイツが抱える移民問題の一端を明らかにするために「教会アジール」を事例として検討したい。「教会アジール」とは、キリスト教会が組織的・統制的に行う難民保護でも、また個人の保護でもなく、「ゲマインデ(Gemeinde)」という教会コミュニティの保護運動である。こうした運動は、教会アジールの事例検討からもわかるように、国家の難民政策の不備を補う「補完的人権保護」であることが浮かび上がってくる。しかしながら、教会アジールをめぐってはこうした運動を「市民的不服従」として捉え、プロテスト運動として発展させるのか、あくまで「キリスト教徒としての責務」による難民保護とするのか議論となっており、当事者のあいだでは教会アジール運動の方向性が明確ではないことが報告では明らかにされる。

第5報告

二十世紀イギリスにおける性愛と法
――同性間の親密な関係を事例として

野田 恵子(東京大学)

 本稿は、1885年の刑法改正法の成立以後、イギリスにおいて犯罪化されていた男同士の親密な関係が、二十世紀後半に成立した性犯罪法において脱犯罪化された経緯を検証することによって、「同性愛」の脱犯罪化が可能になった社会的・歴史的背景、およびその含意を再考することを目的としている。2005年12月、イギリスにおいて、市民パートナーシップ法が施行され、「同性愛」のカップルに「異性愛」の婚姻関係とほぼ同様の権利と義務が付与された。しかし「同性婚」という「同性愛者」の積極的な権利の獲得が実現される以前のイギリスにおいては、あらゆる形態の男同士の「同性愛」が犯罪化されており、その消極的な権利の獲得、つまり「同性愛」の脱犯罪化すら達成されていなかったということは、市民パートナーシップ法の成立の背景を考察する際にも看過することのできない重要な事実であろう。本報告では、性犯罪法を、市民パートナーシップ法の成立へと至る、「同性愛」をめぐるアイデンティティ・ポリティクスを可能にした端緒と捉えることによって、「同性愛」の脱犯罪化を、性に対するリベラリズムの生成やそれに付随する人々の性に対する態度の変容という観点のみには還元できない位相において考察する。その際に注目するのは、同性間の親密な関係に対する人々の認識形態の変容である。というのも同性間の親密な関係自体はどの時代にも存在していたはずであり、そのような関係の犯罪化/脱犯罪化という出来事の背景には、社会がそれを把握する認識形態やそれに伴った態度の変容が見出せるはずであるからである。

報告概要

伊豫谷 登士翁(一橋大学)

 民営化や規制緩和に象徴される新自由主義国家体制のもとで、新保守主義の台頭に対して、社会運動は大きな困難に陥っている。第5部会は、こうした状況において、さまざまな社会運動のあり方を分析し、問い直そうとするものであった。見上報告「次善としてのナショナル・アイデンティティ」は、社会的な下層に位置づけられる保守的右翼運動の構成員に焦点をあて、かれらがもつアイデンティティの揺らぎを論じた。伊藤報告「『文化交流という入り口』から」は、アイヌ文化振興法以降の運動を、これまでの肯定/否定という面ではなく、文化と言われるものの運動の可能性という点から評価する。二平報告「戦後日本における<市民であること>の変容とボランティアの『終焉』」は、「市民」論におけるボランティア論の展開を丹念に位置づけ、動員型に対して参加型市民社会の変化を追跡しようとしたものである。昔農報告「教会アジール」は、ドイツの難民政策に対峙するものとして、中世の教義を拠とする教会による難民保護の運動を取り上げ、難民問題の一側面を明らかにした。

 多元化する時代にあって運動の共通した課題を挙げることは不可能であるが、あえて時代に通底するテーマを挙げるとすれば、次のようになるであろう。各報告は、1)グローバリゼーションと言われる新しい時代の運動の方向性を模索しようしており、2)既存の理論的枠組みには必ずしも拘泥せず、しかしながら3)運動が直面する厳しい現実に直面して、緩やかな変革を志向しているように思われる。限られた時間での報告であり十分な議論が尽くされたわけではないが、討論では、次のような論点が指摘された。第一に、議論を展開する際の概念の曖昧性あるいは時期区分の指標の不明確さなど理論的な荒さである。第二に、さまざまな社会運動が分節化するなかで、他の社会運動との連関への目配りが希薄なように感じられる。第三には、権力やナショナリズムに対する行為主体のポジションに配慮しながらも、自らの位置については無自覚である。

 

第6部会:歴史・自然

報告要旨

第1報告

隠される身体・発見される身体――軍医側の資料からみた兵役忌避

三上 真理子(常磐大学・国士舘大学)

 本報告では、近代日本における兵役忌避、とくに詐病による兵役忌避を扱う。詐病による兵役忌避とは、手足の指を切断する、眼球を突き刺す、視力を減退させる、精神病を装う、さらには、見えない・聞こえないと言い張る、などの手段により兵役を忌避することをいう。こうした行為は徴兵令施行直後から始まり、太平洋戦争末期まで続いた。近年の研究の進展により兵役忌避者の存在は次第に明らかにされつつあるが、依然として不明な部分も多く残されている。

 本報告では、詐病による兵役忌避の実態を、それを看破・告発することを責務とする軍医側の資料(陸軍軍医学会『陸軍軍医学会雑誌』明治19年~41年、陸軍軍医団『陸軍軍医団雑誌』明治41年~昭和18年)から読み解いていきたい。国家にとって”望ましい身体”を選別する場である徴兵検査において、自らの身体を傷つけあるいは病気の振りをして、本来の身体を隠し兵役を逃れようとした兵役忌避者たち。これに対して、彼らの企みを看破し”望ましい身体”を発見しようと奮闘した軍医たち。そうした攻防の”最前線”に立たざるをえなかった軍医たちの資料から、両者の攻防を出来るだけ具体的に描き出すとともに、攻防の果てに見えてくるものについても考察を加えていきたい。

第2報告

自動記録された被爆の過去
――原爆の人影とポスト人間主義をめぐって

林 三博(東京大学)

 整合的な〈歴史の語り〉が過去を構成するうえで様々なメディア表象をいかに動員してきたのかと問う研究が近年著しい成果をみせるなか、同種の問題設定は被爆の過去についてもなされてきた。そのなかには、被爆都市の都市空間やメディア・イベント、被爆当時の惨事を撮影した写真、あるいは、被爆を題材とした文学や映画など、多種多様な対象をベースにした研究がある。

 本発表が照準する原爆の人影(=原爆の光により地面に刻印された人間の影)についても、これらの研究にならうことでそれが〈歴史の語り〉へ組み込まれていった過程を緻密に追尾することも可能である。とはいえ、もし〈歴史の語り〉が人影を、(1)特定の意味連関へ回収しただけでなく、(2)そもそもなにかを表意するもの=〈メディア的なるもの〉として捉えることそれ自体にも関わったのだとすれば、(1)の問題化に腐心する既述の問題設定は(2)を見逃すことになり、結果的に〈歴史の語り〉の相対化を試みたはずの研究自体が,まさにそれと共犯し、〈メディア的なるもの〉としての人影の再生産にくみしてしまうだろう。

 本発表では、人影にむけられた〈歴史の語り〉がそれのいかなる固有な(2)の位相を飼い馴らしてきたのかを明白にし、さらにそこからから、他の歴史的事象とのアナロジーでは捉えきれない、被爆の過去の特異な問題性をみいだすことを最終的な課題としたい。

第3報告

イエズス会系上智大学の正義推進に関する事例研究
――教育学科の高祖敏明の取り組み

金子 聡(東京都立大学)

 1962~65年、カトリック教会は「アジョルナメント」(近現代化)を掲げ第二バチカン公会議を開催し、平和の実現を教会の使命とし、愛に基づく正義の実現を目指した。

 1975年、最大級の活動系修道会であるイエズス会では、アルペ総長の指導性の下で第32総会を開催し、信仰と正義推進の一致を決定した(第四教令)。1981年、第33総会で貧しい人を優先する選択を決定し、1986年、新たな教育の基準を示すために『イエズス会の教育の特徴』を公表した。

 日本のイエズス会系上智大学では、1981年に社会正義研究所を設立した。1988年には『イエズス会の教育の特徴』公表を記念する国際シンポジウムを開催し、同文書もイエズス会士で文学部教育学科の高祖敏明が翻訳した。1996年には、人間学など同大学の教養教育を担当する人間学研究室も、『イエズス会の教育の特徴』を具体化させる研究会を始めていく。

 1999年、高祖は上智学院理事長に就任し、2001年に福音的正義に基づく大学改革の理事会最終成案を公表した。しかし、正義推進への取り組みは決して平坦ではなく、イエズス会士内部でも意見の対立や葛藤があり、学校を辞める者もいたと言われる。では1975年以降、同大学は正義推進に具体的にどのように取り組んだのか。本報告では、その事例研究として高祖を取り上げ、彼が正義をどのように捉え、何を日本の課題としたのか、また、正義を推進する教育学をどのように構想したのかを検証する。

第4報告

自然の内在的価値をめぐる議論の構図

池田 和弘(日本学術振興会)

 さまざまな人間の活動によって自然が破壊されているのは周知の事実である。では、「破壊された」と言うときに何が失われているのか。自然から得る人間の利益であり、人間の自然との関わりである。その主張はしばしば正しい。しかし、それ以外に失われるものはないのか。自然は人間のためにあるのではなく、動物やその他の自然物、もしくは自然それ自体にある価値が失われているのではないか。その点を議論しようとしているのが自然の内在的価値をめぐる議論である。自然の内在的価値は主に三つの意味、すなわち、道具的ではない価値、事物がそれ自体としてもっている内在的な性質による価値、評価者の価値付けとは独立にある客観的な価値の意味で用いられ、論者によっては三つの意味が融和しているときもある。第一の非道具的価値については大方合意がとれているが、第二、第三の意味の組み合わせには大きく分けて、非内在的性質-主観主義と、内在的性質-客観主義の二つの考え方があり、この二つの考え方にそって自然の内在的価値と人間との関係が大きく異なってくる。本報告では主に英語圏の環境倫理学において展開されている自然の内在的価値をめぐる議論をこのように大きく二つに分けて、それぞれの論理立てを整理したうえで、その問題点を指摘する。また、それ以外の論理を展開するものについても時間が許す範囲で展開し、議論の構図を示したい。

報告概要

草柳 千早(大妻女子大学)

 本部会では、三上真理子さん「隠される身体・発見される身体——軍医側 の資料からみた兵役忌避」、林三博さん「自動記録された被爆の過去——原 爆の人影とポスト人間主義をめぐって」、池田和弘さん「自然の内在的価値を めぐる議論の構図」の3つの報告があった。予定されていた金子聡さん「イエズス会系上智大学の正義推進に関する事例研究」はご本人の都合により報告されなかった。

 三上報告は、近代日本における権力と身体(国家と国民)の問題を考える、 という目的の下、兵役拒否、特に詐病による兵役拒否に焦点を当て、それに対する軍医側の取り組みを当時の軍医雑誌資料から詳細に明らかにした。林報告は、原爆の光により地面に刻印された、原爆の人影にむけられる〈歴史の語り〉を問い直し、人影がどのようにして記録されたのか、兵器による自動記録という人間との徹底的な断絶を論じ、テクノロジーと身体との歴史における被爆の特異な問題性を浮かび上がらせた。池田報告は、環境問題への関心と意識の高まりをうけて始まった環境倫理学において、自然それ自体がもっている価値(自然の内在的価値)に関する議論がいかに展開されているか、その議論の構図を、価値の非内在的性質―主観主義と内在的性質ー客観主義として手際よく整理し提示した。その上で両論を批判的に検討し問題点を指摘した。

 一見三者三様の報告であったが、質疑応答では、三報告の接点や通底する主題を意識した論点や質問が、参加者及び報告者相互から出された。人間と自然、人間の身体とテクノロジー、生と死などへと議論は広がった。性格の異なる複数の研究が一つの部会で報告されるという学会大会ならではの場で、まさにその妙がつくりあげられ体験される部会となったのではないか。参加者・報告者の積極的な参加に感謝したい。

 

第7部会:若者(2)

報告要旨

第1報告

「フリーター」/「ニート」を生きる

仁井田 典子(首都大学東京)

 近年、若年者の就業意識や就業行動が社会問題となっている。それらの問題を象徴しているのは、「フリーター」「ニート」という社会問題カテゴリーである。本報告は、「フリーター」「ニート」というカテゴリーに含まれる若年者が、生活世界をどのように生きているのかを明らかにしていく作業の一つである。すなわち、それは、「フリーター」や「ニート」として社会問題化されている若年者が、自らの労働や生活(の過去・現在・将来)に対してどのような意味づけを行っているのか、さらに自己をどのようにアイデンティファイしているのかを明らかにしていくことである。本報告で主として使用するデータは、「フリーター」と「ニート」の境界線上を生きている一人の男性(Aさん)に対するインタビュー調査から得たものである。高校卒業後、専門学校を修了したAさんは、正規雇用の職業に就かず、いくつかのアルバイトを転々としてから、現在、毎週ヤングジョブスポットに通いながら、これまでに貯めた貯金を切り崩して生活している。「語学力を生かした職に就きたい」という希望をもちながらも、それは漠然としたままで、叶わぬ夢となりつつある現実が伸し掛かってきているAさんは、「貯金が尽きればアルバイト生活に戻るのも仕方ない」と語る。Aさんの語りを通じて、社会問題化される「フリーター」/「ニート」を生きる若年者の生活世界の一端を明らかにしていくのが、本報告の具体的な課題である。

第2報告

若者における「感覚」的な職業とは何か――クリエイターとアイデンティティの社会学

加島 卓(東京大学・日本学術振興会)

 メディア文化が「コンテンツ産業」として国家的に支援される現代は、「クリエイター」を職業として選択することを奨励する社会である。ここで注目されるのは、クリエイターの特徴として「感覚」なるものが肯定され、これを人材育成で規格化することは困難であると認識されている点である。つまりクリエイターの増加は期待される一方で、その職能はどうしようもなく曖昧なのである。しかしその曖昧さこそが、若者にクリエイターを積極的に選択させる動機にもなっている。

 そこで本報告は、このような若者の職業選択における「感覚」の肯定に注目し、こうした選択自体がどのようにして可能になったのかを言説分析≒歴史社会学によって明らかにしていく。具体的には、1960年代から1970年代に東京五輪や大阪万博などの国家的なイベントと草月アートセンターなどアンダーグラウンドな活動の双方に積極的に関わることで広く認知されることになった「グラフィック・デザイナー」という職業カテゴリーに注目し、これが当時の若者にどのように受け止められ、なおかつ「感覚」的な職業としてイメージされるようになったのかを述べていく。

 このような作業によって、「感覚」的な職業を肯定する若者の認識と論理を明らかにし、曖昧なまま運用されていく職業としてのクリエイターを社会学的に分析していくための方策を示していきたい。

第3報告

「笑い」を重視する若年層のコミュニケーション――会話分析からみる一考察

瀬沼 文彰(東京経済大学)

 若年層のコミュニケーションのスタイルとして、「ノリ」を主体とする傾向や、「キャラ」を介した人間関係に関する議論が社会学の領域で取り上げられることはあるが、日常生活で他者の「笑いを取る」というスタイルの会話にはあまり注目が集まっていない。そこで、本報告では若年層が笑いをツールとして他者とコミュニケーションを展開している側面に注目する。

 その上で参考にするのは、2005年度に朝日新聞社総合研究本部が行なった「笑いに関する全国世論調査」(全国3000人の有権者男女、有効回答者数1921人)である。量的調査からは若年層が他の年代に比べて日常会話の中で笑いを意識している傾向が顕著に読み取れるため、本報告では「若年層は日常会話で笑いを重視する傾向にある」という仮説を出発点にして以下の検証を行う。

 ①報告者が2004年から3年間、電車やファーストフード店にて若年層の会話をICレコーダーで録音しテープ起しを行って採取した約150の会話事例のうちいくつかを用いて、彼/彼女たちが実際にどのような内容で笑っているのかを提示し、そこから見えてくる傾向をあげる。

 ②若年層が日常会話で頻繁に笑うという行為の背後にある若年層の特徴や問題点を検討することで、笑いの現代的な意味合いを考察する。

第4報告

現代大学生の「まじめさ」の形成要因
――勉学を重視する学生の文化的背景に着目して

小澤 昌之(慶應義塾大学)

 最近の大学生の雇用動向は、大学生の新卒採用数が軒並み上昇を見せている一方、フリーター人口は依然として高水準にあり、若者の雇用機会や待遇に二極分化が生じている。ただ、世間の人々が大学生に抱くイメージは、近年まで「学力低下」やゆとり教育世代といったキーワードが話題に上っていたこともあり、規範意識の低下や教養のなさなど消極的な見方が先行し、いわゆる「若者バッシング」を支持する趨勢が形成されている。

 しかし、岩田弘三や伊藤茂樹などが指摘するように、1990年代以降、学生生活の活動の中心は、少しでも就職活動を有利にするために、人間関係やサークル活動よりも、勉学や資格取得を重視する傾向が現れている。また、対象者層の違いはあるものの、青少年研究会の調査によれば、規範意識に関する項目に関して賛成と回答する割合が、すべての項目で過半数を超えている。従って、若者としての大学生の大半は、社会に対して適応的で、社会に要請されている価値観に従い、そつなく学業をこなす学生が多いことが推測される。

 そこで、本報告では、マスメディアの影響を受ける若者としての姿と、日常「まじめな学生」として営む意識行動との間のギャップについて考察するため、当事者である勉学を重視する学生の文化的背景を把握することを目的とする。その際分析には、発表者が大学生を対象に行った質問紙調査の結果を用い、他の先行研究の調査結果と比較しながら、現代社会の大学生に対する「まじめ」観を捉える視点についても議論を行う。

報告概要

伊奈 正人(東京女子大学)

 若者(2)の部会は、大会2日目午前中に行われた。若者論は唯一2部会が設定された領域である。会場である50名ほどの教室は、最初から最後までほぼ満席で、途中立ち見で聞き入る熱心な参加者もあった。この領域に対する関心の高さがうかがえる。

 第1報告の仁井田典子(首都大学東京)「「フリーター」/「ニート」を生きる」は、いわゆる「フリーター」、「ニート」の「境界線を生きる」若者の調査研究である。語学という実学の代表とされてきたものに熱中しながら、他方で就業支援施設に通い、家族を「ライフライン」と位置づけ、しかしまた「家を出る」ことをめざす若者の姿を描き出し、「手段であるはずの語学」に熱中することで「現在の状況を忘却」する若者という論点、手段の目的化という論点に論じ至っている。フロアにいらした岩間夏樹氏は午後のテーマ部会でこの論点を引用・紹介されていた。

 第2報告の加島卓(東京大学・日本学術振興会)「若者における「感覚」的な職業とは何か――クリエイターとアイデンティティの社会学」は、若者礼賛一色の時代から、若者が罵倒される今日に至るまで、若者が感覚的であるという一点だけは変わってないことに注目し、それを自明視するのではなく、感覚的な存在として「若者」が立ち上がってしまうことについて歴史社会学的に考察したものである。一つの端緒である60年代のグラフィックデザイナーに事例を限定して詳細な分析を試みている。「わからないものはわからないまま面白い」という価値づけの論理が抽出され、対抗文化、および広告文化などによって例解がなされた。フロアの山田昌弘氏より、この価値づけの論理の内実を批判的に問う質問がなされ、有意義な意見交換が行われた。

 第3報告の瀬沼文彰(東京経済大学)「「笑い」を重視する若年層のコミュニケーション――会話分析からみる一考察」は、報告者の著書『キャラ論』を前提にして、若者のコミュニケーションにおいて、笑いが重要な要因となっていることを、事例によって明らかにしようとしたものである。いじめの問題なども視野に入れながら、キャラとツッコミの類型、笑いを介した若者のコミュニケーションの様態を考察した。本報告は調査研究をめざしたものであるが、笑いを介したコミュニケーションというものの調査の困難、その倫理性などについて重要な問題提起が行われ、意見交換がなされた。

 第4報告の小澤昌之(慶應義塾大学)「現代学生の「まじめさ」の形成要因――勉学を重視する学生の文化的背景に着目して」は、現代大学生の「まじめ」さについての調査研究の報告である。調査は、教員免許取得に関わる授業の履修者1235名を対象として行われたものである。「まじめ」さをめぐる計量的研究への一歩としての貢献を主張すると同時に、調査結果をもとに現代の学校教育問題についてのコミットメントを試みている。なお、報告の途中で学校のコンサマトリー化という論点が提示されたが、司会者のまとめに――「まじめ」のコンサマトリー性という――とっさの思いつきによる重大な誤解があったことをこの場を借りてお詫びしておきたい。

 

第8部会:移民・エスニシティ

報告要旨

第1報告

在日タイ人女性内のネットワーク分断と社会資本の偏在

石井 香世子(名古屋商科大学)

 越境女性移住者のネットワークと社会資本分布に注目した既存研究の多くは、越境フィリピン女性を題材として扱うことが多かった。このため、越境移住女性研究は、多くの場合、越境フィリピン女性に関する研究から引き出されたモデルを所与のものとする傾向があった。しかし、フィリピン女性・日本女性・タイ女性・ブラジル女性・ロシア女性など、さまざまな社会的背景を背負った越境移住女性は、本当に一括りに分析できるものなのだろうか。

 本発表では、トランス・ナショナルな母子関係・サポート関係が数多く研究されてきたことから明らかなように、”つながり”が強調されてきた越境フィリピン女性のネットワークに対し、非常に狭い地域に住むタイ出身者どうしがネットワークを敢えて分断し、社会資本を狭いネットワーク範囲内で”守ろう”とする傾向を指摘する。フィリピン女性が、越境移住したからこそ、ネットワークを発達させるのに対し、タイ女性は、越境移住したからこそ、より希少な社会資本を守ろうとして、ネットワークを分断させる様子を見ていく。ここから、越境移住女性のネットワーク構築と活用に関して、フィリピン女性から引き出されたのとは異なる、分断型のネットワーク構築が見られる例を指摘する。

 具体的には、日本の東海地域(愛知・三重・岐阜・静岡の4県)に在住するタイ出身女性に関して、アンケート調査、インタビュー調査に参与観察を併用して調査した結果を報告する。

第2報告

「旧植民地」出身女性のアイデンティティの日仏比較
――同化主義、シティズンシップ、ジェンダーの視点から

辻山 ゆき子(共立女子大学)
小林 淳子(お茶の水女子大学)

 在日コリアンなど旧植民地出身者への日本の同化主義は、その民族性をみとめず、「国語」と日本文化、植民地時代はさらに天皇への忠誠を強制するものであった。現在も、多くの人が「創氏改名」に由来する「通名(日本名)」を使用して日常生活をおくり、帰化の際にはこの「通名(日本名)」を正式な名前とすることが多い。これは日本民族への同化である。いっぽうフランスの同化主義は、フランス革命以来の自由・平等・博愛という普遍的文明に根ざしているといわれる。しかし、フランスにおいても植民地出身者の伝統的慣習は、文明から遅れ、フランス人権宣言の精神に反したものとして、認められてこなかった。旧植民地出身フランス人にたいして現在のフランスで行われているのは、共和主義にもとづく市民社会への同化である。日本とはまたべつの同化の論理によって、かれらの言語、文化などは尊重されていない。

 本報告では、日本とフランスの旧植民地に出自をもつ第二世代の女性のアイデンティティの比較をとおして、両国の同化主義のありかたの相違点と共通点がアイデンティティにどのような影響を与えているのかを、ジェンダーの視点も交えて考察する。具体的には、小林の2006~2007年に行った在日コリアン2世の女性の聞き取り調査と資料、辻山の在仏マグレブ第2世代女性の文献によるアイデンティティ調査を、シティズンシップ、民族、ジェンダーを軸に、平等と相違の主張のバランスに注目しながら、比較する。

第3報告

移民の子ども研究再考
――きょうだいという家族内の重層性に着目して

宮川 陽名(一橋大学)

 本報告は、1990年代以降、重点的に取り上げられてきた移民第二世代研究の流れに着目し、「新・第二世代」と呼ばれる集団を対象としたアメリカにおける近年の移民の子ども研究を概観するものである。さらに、既存の先行研究を踏まえて今後さらに着目すべき点を提示することを試みる。具体的には、過去の移民研究において一般的であった世帯アプローチによる移民活動がジェンダーの視点から再考され、家族内に存在する利害の多様性が指摘されたように、子どもに焦点を当てることで、研究の起点を親だけでも親子の関係からでもなく、子ども同士―きょうだい関係―に移し、多層的な家族関係に見る相互作用を分析する。そして、家族内の相互作用を受ける個々の移民の子どもが、外部社会といかに接触し、それを解釈するようになるかを問いたい。これは大人の視点から語られてきた移民活動を子どもの視点に置き換えて検討するという試みであるばかりでなく、アメリカの基本的価値のひとつである個人主義言説を分析枠組みに反映させるためにも不可欠な視点である。また、移民家族内のきょうだいの差異に着目することは、時代的背景と個々の発達過程というマクロおよびミクロの両時間軸を交差させ移民家族を捉え直すことであり、出身社会から移民先社会に至るまでの既存の文脈理解を超え、より重層的な視点を提示すると共に移民の社会編入過程の初期分岐点を分析する試みでもある。

第4報告

東アジアにおけるコリアンネットワークとアイデンティティ
――「ワンコリアフェスティバル」(市民団体)の歴史的形成過程の考察から

金 椿月(一橋大学)

 同時多発テロ対策としてのブッシュ大統領による「悪の枢軸」発言を契機に朝鮮半島の緊張は高まり、「北朝鮮」報道は社会を賑わせている。合衆国を頂点とした新自由主義によるグローバル化が進む一方で、しかし、東アジアの秩序形成に向けた越境的市民運動の始動は、冷戦崩壊前後からローカルな現場で多元的な広がりを創り出してきた。

 「ワンコリアフェスティバル」(以下、OKF)は、1985年、大阪の在日コリアンによって「8・15フェスティバル」として結成された。当初、1972年の「7・4共同声明」に呼応し南北対話の具現化を試みるローカルな実践であったOKFは、冷戦崩壊以降アジア地域における国際統合を視野に入れた「市民」連帯へと変化していった。この過程では自民族のみを考える利己的なあり方を超える挑戦があった。その変化は、次の3点に要約できる。第一に、冷戦体制下の南北対立を克服するための模索、第二に、1990年から、緊張緩和と平和共存の潮流を汲んだ「アジア共同体」形成への提言、第三に、2004年からのNGO設立と韓国市民団体との連結である。それでは一国内の市民団体が国際的規模の活動にどのようにかかわっていくことができたのか。

 本報告では、東アジアでのコリアンたちによるネットワーク形成過程について考察するため、OKFの展開過程を明らかにしていく。とりわけ、そこでは、運動団体の歴史的経緯と運動主体のアイデンティティに着目する。また、そのための研究の素として、パンフレットやインターネットからの資料、インタビュー、参与観察記録を使用する。

第5報告

人種を包摂/異化する社会
――滞日メキシコ人の出身社会をめぐる語り

岸下 卓史(立教大学)

 メキシコでは植民地時代からメキシコ革命に至るまで差別的な人種関係が存続しており、革命以降の歴代政権は先住民に対する社会政策を実施し、先住民の経済レベルを向上させることで先住民に対する差別的な意識を解消しようとしてきた。

 そこで、筆者は日本に滞在する滞日メキシコ人(メスティーソ)から出身社会の、特に人種関係をめぐる聞き取り調査を行い、そのデータによって滞日メキシコ人が生きた当時のメキシコの人種関係を明らかにしようと試みる。

 まず、調査データからはメキシコでは混血が進み、異なる人種に対して寛容である、という語りが見てとれる。けれども、それに反して、先住民を肯定的・否定的に拘らず何らかの対立項によって表象するような語りも見られる。この矛盾はどのように解釈できるか。転じれば、それらの差別的な語りは、メキシコの社会的な格差という文脈でなされていることがわかる。つまり、社会的格差が人種意識を存続させている原因であり、その場合、社会的格差が縮小していくにしたがって、人種意識も薄れていくと推定できる。だが、注目すべきは滞日メキシコ人が二種類の先住民について語っていたという点である。メキシコ混血社会は、一方で文化変容をとげる先住民を包摂し続けるとともに、他方で伝統文化を維持する純粋な先住民を異化し続ける(包摂/異化のメカニズム)。本報告では最後に、このメキシコ人の相矛盾する人種意識がいったい何を意味するのか簡潔にまとめる。

報告概要

広田 康生(専修大学)

 本部会は石井香世子「在日タイ人女性内のネットワーク分断と社会資本の偏在」、辻山ゆき子・小林淳子「『旧植民地』出身女性のアイデンティティの日仏比較」、金椿月「東アジアにおけるコリアンネットワークとアイデンティティ」、岸下卓史「人種を包摂/異化する社会」の4本の報告がなされた(副題は紙幅の関係で割愛)。石井香世子の第1報告では、少なくともタイ人女性に関する限り、越境女性移住者のネットワーク形成と社会資本との関係には、個人の言語能力や都市部居住といった要因よりも、むしろ階層にもとづく「情報共有ネットワークを築く」要因の重要性が指摘された。辻山ゆき子・小林淳子の第2報告では、在日コリアン二世と在仏アルジェリア二世に注目し、仏の共和主義的同化主義に隠された人種主義と日本における民族同化主義との差異と共通性が指摘された。金椿月の第3報告では、大阪の在日コリアンが結成したワンコリアフェスティバルが東アジアにおいて「国境を越えた異種混交のネットワーク」を形成している実態が報告され、岸下卓史の第4報告は、メキシコにおいて「植民地的権力関係のなかで成立した」「先住民」概念の分析であったが、それが植民地的権力関係の消滅のなかでいかなるエスニック関係として残るか問おうとしていた。

 全体としては、それが「社会資本とネットワーク形成」のテーマであっても「統合」分析であっても、また「越境するネットワーク」分析にしても、大掛かりなそれよりか、「個人」のアイデンティティや「語り」あるいは「映画」シナリオに注目するといった細やかな分析がなされ、現実に即して問題提起をしようとする研究姿勢が感じられた。日本のエスニシティ研究の幅の広がりも感じさせる諸報告だったとは思う。都市社会学の立場からエスニシティ研究に関心を持ってきた筆者としては、個人的には、具体的な場所での出来事を起点に、エスニシティ研究を出発点にしながら社会の基層部分の分析に広がっていくような研究の道のりを考える必要があると自戒した。

 

第9部会:文化

報告要旨

第1報告

<スピリチュアル・ブーム>の展開と受容についての一考察

平野 直子(早稲田大学)

 2006年末から2007年にかけて、「現在は〈スピリチュアル・ブーム〉である」とみなす発言や、それについての考察がマスメディアで多数みられた。ここで使われる「スピリチュアル」という片仮名の形容詞は、2000年前後までは「一般化」していなかったが、2003年前後に江原啓之の登場等によって「霊」「魂」「生まれ変わり」といった、「この世」を超えた存在や事がらについての語りを表す言葉として急速に普及してきた。

 こうした「この世」を超えた事がらがオープンに語られる状況は、先行する「ブーム」――たとえば1990年前後のニューエイジ/精神世界ブームや並行する新新宗教の隆盛、もしくはそれに先行する1970年代の「オカルトブーム」――がただ繰り返されているだけのようにも見える。また「スピリチュアル・ブーム」の「癒し」ブームとしての側面は、もっと遡って明治末期からの〈癒す知〉の系譜に位置づけることも可能であろう。

 「スピリチュアル・ブーム」の個々の要素には、たしかにこれら先行する「ブーム」からの影響が認められる。しかしそれらが消費される仕方に注目すると、そこには2000年代半ばという社会的背景ならではの、独特の展開が起きていると見ることができる。

 そこで本報告では、「スピリチュアル」をテーマとするブログのリンク集の分析を中心に、「ブーム」を受容(もしくは需要)する側が、それら「スピリチュアル」な言説や実践にどのような意味づけを与えているのかを考察する。

第2報告

録音産業の成立と印刷技術に関するメディア論的考察

周東 美材(東京大学)

 本報告は、昭和初期における日本の録音産業がいかなる諸契機に媒介され成立したのかについて、メディア論の視座から新たな理解を目指すものである。報告者は、印刷技術と録音技術の関係、あるいは出版産業と録音産業の関係に注目し、両者の相互媒介的な過程を通じて、近代日本の音楽産業が形成されたことを歴史社会学的に明らかにする。

 印刷は、最も早くから大衆文化の根幹を支えてきた大量複製技術である。大正末期から昭和初期の日本において、出版産業は従来の知識階層向けの雑誌・書籍の発行から、巨大な発行部数をもつ大衆雑誌や円本の発行へと移行するなど、消費社会が台頭する際の主要な原動力のひとつであった。後発的に登場した録音産業は、この流れとほぼ同時期に、出版産業や文芸運動などの成果を流用しつつ、本格的に「音楽」産業として確立する。本報告では、録音技術の出現によって直ちに「大衆音楽」なるものが成立したと見なすのではなく、この異なるふたつの複製技術やシステムが、政治的、経済的、技術的、身体的、人材的な諸側面において、いかに手を取り合い、かつ分化していったのか考察し、録音産業が大衆文化の一領域を形成していく過程について考究する。

 なかでも本報告では、具体的な事例として各レコード会社内において制作上の強い権限を持った「文芸部」の存在や、詩人・作家であり、なおかつレコード産業へとコミットを強めるようになっていった北原白秋や西條八十に注目しつつ、上記の問題について明らかにしていく。

第3報告

「音(楽)メディア」としてのFM
――初期FM放送におけるメディアの役割の生成と変容

溝尻 真也(東京大学)

 1969年の本放送開始以来、FMは送り手 / 受け手の双方に「音楽メディア」として認識されてきた。「音楽の伝達」という極めて特化された役割を担ってきたFMは、マスメディアの中でも独特の位置づけがなされてきたメディアであるといえるだろう。本研究は、こうした「音楽メディア」というFMに対する独特の役割期待が、どのような歴史的過程を経て形成されてきたのかを明らかにすることを目的とするものである。

 実験局時代、民放FMは自らを「教育メディア」として位置づけていた。しかし本放送開始までの間に、FMはその役割を「音楽メディア」へと変容させていく。その変容とは、1950~1960年代の日本における、「音」をめぐる技術・教養を文化資本とみなすような送り手 / 受け手の差異化戦略と密接に結びついて起こったものであった。

 さらに、この「教育メディアから音楽メディアへ」とでもいうべき変容過程には、「音」をめぐる「”技術のゲーム”から”文化のゲーム”へ」という、「音」をめぐる文化資本と差異化戦略のあり方自体が変容していく過程が内包されていた。初期FMをめぐる各主体にとってFMとは常に「音のメディア」であった訳だが、その「音」が媒介する文化資本そのものが、当時の時代背景の中で決定的に変化したのである。

 本報告では、これら「音」をめぐる差異化戦略の中で、初期FMにメディアとしての役割が付与されていく過程、そしてそれが今日的な「音楽メディア」へと収斂していく過程について、分析を試みたいと考えている。

第4報告

「孤独なボウリング」と「孤独なカラオケ」

宮入 恭平(東京経済大学)

 カラオケはレジャーとして、また文化としても、日本の社会に定着している。日本国内におけるカラオケに関する学術的な研究は、カラオケが興隆した1990年代初頭に数多くおこなわれ、1990年代後半には到達点に達したといわれている。最近でも国内におけるカラオケに関する研究はみられるが、技術的な側面からみた産業に関する研究が主流となっている。そのような視点からの考察はもちろん重要だが、カラオケという行為について考えれば、それをとりまく環境や、そこに含まれる人々といった、文化的側面を忘れてはならない。たとえばアメリカでは、カラオケを文化的な側面から扱う研究が継続的におこなわれている。

 報告者の関心は、日本とアメリカのポピュラー音楽をとりまく状況や環境(シーン)の違いを、文化的側面から検証することにある。カラオケに着目すれば、日本とアメリカのカラオケ―言い換えれば<カラオケとKaraoke>―は、ポピュラー音楽と同様に、その背後にある文化的な差異によって影響を受けている。日本では近年、ひとりでカラオケをする人たち(通称「ヒトカラ」)が増加傾向にある。本報告ではロバート・パットナムのソーシャル・キャピタル(社会関係資本)の研究に注目し、アメリカにおける「孤独なボウリング」と、日本における「孤独なカラオケ」を比較検討する。

第5報告

グローバル化のなかの「和風」――変容する消費嗜好の実証分析

寺島 拓幸(立教大学)

 グローバル化の波は、政治、軍事、製造業、流通業、金融業、情報通信、労働など社会諸分野のあり様を変化させただけではなく、人々の暮らしに深く入り込み、それぞれの地域の文化をも変容させてきた。周知のように、日本の生活文化は、明治以来西洋化、欧風化の傾向を如実に示しており、太平洋戦争後は、その中でもアメリカ化の様相を強く示してきた。こうしたなかで、在来の和風文化は他の文化と影響を与え合い、溶け合い、交じり合いながらも、次第に衰退しつつあると思われた。ところが近年では、食生活を筆頭に和風なものが再評価され新しい需要を生み出し、和風回帰ともとれるような現象がみられるようになっている。

 こうした背景から本報告では、伝統的な生活文化である和風が、グローバル化の進展にともなってどのように位置づけられ、人びとに受け入れられているのかを明らかにする。本報告では、2004年11~2005年1月に立教大学間々田研究室が東京都で実施した標本調査にもとづきながら以下を検討する。第一に、和風離れが進んでいるのか、それとも回帰の傾向がみられるのかという観点から、嗜好や衣食住の現状を確認する。第二に、和風と外国風に対する嗜好の相関関係を分析することによって、どの程度混交化がみられるかを検討する。第三に、世代間における和風の意味変容について検討する。

報告概要

桜井 洋(早稲田大学)

 第9部会のテーマは「文化」である。5本の報告が予定されたが、当日一名が都合により報告を取りやめたために、4本の報告が行われた。周東美材氏(東京大学)の報告は、昭和初期の日本における録音産業の成立について、特に印刷技術(出版産業)と録音技術(録音産業)の関する歴史社会学的研究である。録音技術の成立が直ちに音楽文化に結びついたのではなく、文芸運動などと関わりをもつ出版産業との関わりにおいて成り立った経緯を具体的な資料を示しつつ明らかにした。溝尻真也氏(東京大学)の報告は、FM放送の社会的な意味づけの変容を跡付けた研究である。1969年に開始されたFM放送は、その当初は「教育メディア」であると考えられたが、その後「音楽メディア」へと変貌してゆく。その過程には、「技術のゲーム」と「文化のゲーム」に関わる文化資本をめぐる差異化の戦略があったことを明らかにした。宮入恭平氏(東京経済大学)の報告は、カラオケをテーマとした比較社会学的研究である。日本とアメリカにおけるカラオケ受容の差異を、ロバート・パットナムの社会関係資本の概念に注目しつつ、アメリカにおける「孤独なボウリング」と日本における「孤独なカラオケ」の対比を焦点に分析した。最後に寺島拓幸氏(立教大学)は「和風」文化の変容についての研究である。日本の文化は明治以来欧風化の傾向を示し、戦後はアメリカ化の様相を示したが、最近では和風回帰の傾向もみられる。氏は標本調査に基づき、和風離れか回帰か、また嗜好の混交化の程度、世代間における和風の意味変容などについて報告した。それぞれの報告に関して、活発な討議が行われた。

 

第10部会:職業・世代・移動

報告要旨

第1報告

専門職研究の動向と今後の課題

鵜沢 由美子(日本大学)

 専門職の概念把握をめぐる研究は、大きく3つに分類できる。一つ目は、専門性や自律性などの専門職の特性をめぐる議論をふまえ、その特性の獲得程度に従って、現実の諸職業の専門職化の程度を推し量る研究である。特性論的アプローチと総称される。二つ目は、1970年代この特性論的アプローチを批判して登場した権力論的アプローチである。このアプローチでは、専門職の特性と見なされているものは、当該専門職が必ずしも有しているものではなく、専門職従事者はあたかもそれを有しているがごとく民衆に確信させる権力を有しているとみる。さらに、並行して専門職の特性や理念型を捉える際に、伝統的な確立した専門職を模し、種々の専門職を文化的、歴史的に画一的、単一的に捉えることや序例化して捉えることへの批判的議論もあった。フェミニズムからの批判的研究からは、専門職化とは「男らしさ」の追求であり、女性排除の過程であると議論された。1980年代後半から1990年代に入り、専門職研究の中に新たな流れが生じてきた。専門職の規範的な価値システムとしての側面を再評価する動きであり、専門職を多面的に把握する第3のアプローチと見なすことができる。ある職業が、専門職であるかどうかということよりも、専門職そのものは大枠で捉え、その内実を多面的に把握する研究に移行しているということができるだろう。本報告では、このような専門職研究の動向を踏まえ、今後の課題を提示する。

第2報告

派遣会社の属性と派遣社員の働き方
――派遣労働の多様性をめぐって

高橋 康二(東京大学)

 一般に、事務系派遣社員の働き方は画一的なものとみなされがちである。これに対し本報告では、派遣社員、顧客企業、派遣会社の3者から構成される人材派遣においては、雇用主である派遣会社の属性が派遣社員の働き方に少なからぬ影響を与えると考え、派遣会社の属性に応じた多様な派遣労働の実態を明らかにする。具体的には、事務系の派遣市場において、「大手独立系」と「中堅資本系」という対照的な事業展開を行なう派遣会社が存在することを示した上で、それぞれの派遣社員の働き方を比較するとともに、それぞれの派遣会社に適しているのはいかなるタイプの派遣社員なのかを明らかにする。分析には、大手独立系6社、中堅資本系4社の事務系派遣社員823名から得られたアンケートデータを用いる。

 分析の結果、以下の2点が明らかになる。第1に、中堅資本系の派遣社員の方が、職場において希望に合った仕事を任されており派遣先に対する満足度が高く、他方で、大手独立系の派遣社員の方が、カウンセリングや頻繁なフォローを受けられるとともに教育研修など就業支援の仕組みを利用しやすく派遣元に対する満足度が高い。さらに、このような違いは、派遣会社の事業展開のあり方と密接に関係している。第2に、このような違いが存在するがゆえに、仕事生活の全体的な満足度の観点からみて、派遣社員としてスキルアップを図りたいと考える者にとっては大手独立系が、そうでない者にとっては中堅資本系が適している場合が多い。

第3報告

後期中等教育拡大期の高卒就職者の世代内移動
――社会移動研究における時系列的探索分析の試み[PP使用]

相澤 真一(東京大学)
香川 めい(東京大学)

 本報告は、JGSS(日本版総合社会調査)累積データ2000-2003を用いて、2つの検証を行う。第一に、後期中等教育拡大期の男性高卒就職者の世代内移動を、生年一年ごとに連続写真のように追跡する探索的作業を行うことによって、戦後の教育拡大過程下で教育を受けた各年それぞれの学歴の意味を浮かび上がらせ、帰納的に妥当なフェーズを区分する。第二に、この区分によって、各世代の世代内移動の変化の様相がどのように浮かび上がるかを検証する。

 従来、社会移動研究が、世代や時代を論じようとする時、機械的に5年または10年といった区切りを設定したものや、先行研究に依拠したア・プリオリな区分にとらわれがちであった。それに対して、本報告は、時代や出生世代の違いによる関心を一歩推し進めて、生年世代や時代の変化を帰納的、探索的に問い直すことを試みる。つまり、学歴、初職、現職の関係を探索的に見ながら歴史叙述を行い、変化のフェーズを区分するカテゴリーを作成する試みを行う。もちろん、探索的アプローチに基づく帰納的な世代区分の妥当性は吟味されなければならないため、後半では、これまでの世代内移動研究の成果から導出される仮説に対して、この世代区分がどのような意義を与えるかについての検証を行う。

第4報告

中高年層の社会参加をめぐる現状と背景
――「生涯現役プロジェクト」とその社会学的考察

小澤 考人(東京大学)

 近年、若年雇用問題(学校から仕事への移行)と並んで社会問題として急速に注目を集めているのは、中高年層の地域社会への参加(職場から地域への回帰)である。とくに2007年以降に「団塊の世代」が定年退職を迎えるに当たり、各地方自治体でも中高年層の地域社会への回帰・参加を手助けする取組みが喫緊の課題となっている。

 本報告ではこうした趨勢を踏まえ、東京都世田谷区を調査フィールドとして、中高年層の社会参加に対して現在いかなる取組みがなされているのか、という現状報告を第一の論点とする。その主題は、2005年度の基本計画からスタートした「生涯現役プロジェクト」である。ところで「団塊の世代」の地域回帰が当面の課題であるとして、そこで暗に前提とされているのが、回帰の対象としての地域社会の受け皿である諸々の市民活動の存在である。本報告の第二の論点は、このような市民活動の多くがどのような経緯で出現したのかという、現状の起源に対する探究である。そこに浮上するのは、1970年代当時、「団塊の世代」の一部を中心とする青年たちが創り上げた市民活動とグループ間ネットワークである。そのうえで本報告の第三の論点は、この1970年代の地平という文化的背景との対照において、現在の「生涯現役プロジェクト」をめぐって生じていることの社会学的意味の考察である。そこには労働と余暇の社会的配置の再編ともいうべき現代社会の一端が浮かび上がる。

報告概要

岡本 英雄(上智大学)

 この部会では4本の報告がおこなわれた。午前の部会であったが、参加者は多く(20数名)、発表をめぐって活発な議論がおこなわれた。

 第1報告は鵜沢由美子氏の報告で、「特性論的アプローチ」から「「権力論的アプローチ」へ変化してきた専門職研究が、現在は「第3のアプローチ」といえる新しいアプローチに移行しつつあることを、自身の日本の専門職研究の事例を用いながら論じた。第2報告は高橋康二氏の報告で、「大手独立系」の派遣会社と「中堅資本系」では教育研修、カウンセリング、希望に合った仕事に就ける程度などが異なり、そのため満足度や応募者の特性の差などがあることを、アンケートデータをもとに論じた。第3報告は相沢真一・香川めい氏による報告で、JGSSのデータを用いて生年1年ごとに世代内移動を追跡し、そこから妥当性のある区分をみつけ、さらにその区分ごとに世代内移動どう異なるかを論じた。最後の報告は小沢考人氏によるもので、世田谷区をフィールドとして中高年層の社会参加についての取り組みの現状、その出現の経緯、1970年代の青年たちの活動との関係が論じられた。

 専門職研究については各国での定義や位置づけの違い、その社会的背景をめぐって活発な議論がなされた。人材派遣をめぐっては、派遣元の違いに注目した点に新しさがあるとされた。高卒者の世代内移動の研究に関しては、出発点であるサンプル・母集団の解釈をめぐって疑問がだされ、実質的な内容の議論までいかなかった。中高年層の社会参加については、現在の市民活動を、1970年代の青年たちの活動と結びつけて考える報告者の枠組みに対する批判がめだった。

 上野会長をはじめヴェテランの参加が目立ち、若い報告者とのあいだに各報告の基本的論点に関して意見のやり取りがあり、部会として成果があったのではないだろうか。

第11部会:身体・生命

報告要旨

第1報告

「産まない」身体の在処――少子化対策関連データからの一考察

川野 佐江子(立教大学)

 子供を持つという「当たり前」のことが、社会的に奨励されなければならないほど今や少子化は問題視されている。しかし、少子化の問題は、高齢化社会の問題と結びつき、社会は「これまでと変わりなく発展しなければならない」という大きな前提の元に生じている現象だとも言える。

 しかし、現実社会には子供が欲しくても持てない人、あるいは持たないと選択した人などが存在する。「産まない身体・産めない身体」がマイノリティであるという前提は、生殖を女性だけに依存した一昔前のジェンダー論の埒内であるばかりでなく、社会は発展しなければならない、人口は増えなければならない、という近代的生産至上主義の埒内であるとも言えるだろう。

 本研究では、あえて「持たない」を選択した人(女性に限定しない)に焦点を当て、「産む」ことを強制する制度と生物としての「産む」本能から距離を置く人たちが置かれている状況を、彼彼女の「主(自-他)-客(他-自)」問題を中心にして考察してゆく。特に、「産む」問題を「生殖」という問題に置き換えることで、身体という場で「生物としての身体(生の身体)」と「社会の中の身体(近代理性としての身体)」がいかに関係し合っているか(ただし、これら2項が自明であるか、あるいは対立存在なのかなどの諸問題は、ここではとりあえず括弧にいれておく)を考察する。

第2報告

障害をもつ子どもを迎え入れる反優生思想の可能性
――先天性四肢障害児父母の会の1970/80

堀 智久(筑波大学)

 本研究の目的は、先天性四肢障害児父母の会の運動の展開を追い、そのなかで親たちが、いかにして障害をもつ子どもを迎え入れる文化を紡ぎ出し、育んできたのかを明らかにすることである。

 先天性四肢障害児父母の会は、1975年に設立され、環境汚染が様々に問題にされた時代にあって、子どもの障害の原因究明を訴える運動として始められた。親たちは、国・厚生省に催奇形性物質の特定・除去を求め、他方ではシンポジウムや写真展の活動を通じて、こうした障害をもった子どもが二度と生まれないように社会啓発を展開していく。

 だが、この70年代における「父母の会」の原因究明の訴えは、80年代に入り、次第に行き詰まりを見せるようになる。親たちはその後、子どもが主役のシンポジウムや写真展の活動を通じて、積極的に「障害をもった子どものいる暮らしはけっして不幸ではない」ということを社会に訴えていく。

 とりわけ、本研究では、当時積極的に運動に携わっていた遺伝会員(遺伝性の障害の子どもをもつ親)および成人会員(先天性四肢障害をもつ障害者)に聞き取り調査を行っている。70年代および80年代以降の運動のもつ問題性や限界性、そしてそれを乗り越える可能性が検討される。

第3報告

「遺伝子決定論」からみたエンハンスメントと生命倫理[PP使用]

土屋 敦(東京大学・日本学術振興会)

 エンハンスメントは、松田(2006)の定義によれば、「健康の回復と維持という目的を超えて、能力や性質の「改善」を目指して人間の心身に医学的に介入するということ」であるとされる。近年、特に欧米圏においては向精神薬や遺伝子研究及び遺伝子検査技術などの発展を受けて、「治療を超えた」領域への医学や医療技術の介入(エンハンスメント)の是非が特に生命倫理学分野で盛んに議論され始めている。本報告は、上記のエンハンスメントの中でも遺伝子技術とその応用に関係する領域の問題群に焦点化しながら、遺伝子技術の応用に対する社会意識調査データ(N=3000)を分析の俎上にのせつつ論を展開することを目的とする。その際に、特に「遺伝子決定論」(人間の知能や行動、疾患の罹患率などは主に遺伝子によって決定されるとする考え方)の度合いを分析モデルに組み込みつつ、エンハンスメント領域への遺伝子技術の活用の意識及びそれに対するニーズの分布を明らかにする。

第4報告

「生命倫理の社会学」は可能か?――価値判断を対象化する方法論をめぐって

皆吉 淳平(芝浦工業大学)

 生命をめぐる科学技術の進展は、「生命倫理が問われる」ものとされ、社会には「生命倫理」に関する言葉が溢れている。現代社会は、生命倫理を語る社会であるとも言えよう。経験科学として社会学は、価値判断を行わないという自己規定を行ってきた。しかしながら生命倫理が問われる諸問題は、様々なレベルで価値の問題に直面する。社会学が「生命倫理」を対象とするには、この事実と価値との関係をどのように考えねばならないのだろうか。

 本報告ではフォックス(R.C. Fox)とデ・ブリース(R. DeVries)の議論を中心的に論じる。フォックスは「生命倫理の社会学」を切り拓いた研究者であり、デ・ブリースは90年代以降、積極的に「生命倫理の社会学」を定式化することを試みている。しかしながら両者の「生命倫理の社会学」という構想は、必ずしも一致するものではない。これまで明示的な形で検討されることは少なかったフォックスの「理論」的背景にはパーソンズの存在に加えて、マートンの科学社会学が存在していると指摘できる。それに対してデ・ブリースは、「意味」あるいは「文脈」に重きを置く。それは「価値」を経験科学としていかに扱うかという立場の違いであると言える。

 「生命倫理」を語る現代社会を分析しようとしたときに、我々は改めて社会学とは何か、という問いに直面することとある。こうした自己言及的な問いを抱えつつ現代社会を研究することは、「生命倫理の社会学」の困難であると同時に、社会学理論としての大きな可能性を秘めたものなのである。

第5報告

健康意識・健康行動と権威主義的態度の関係

藤岡 真之(弘前学院大学)

 健康に関する関心の高まりは、長期的な価値観の変化という観点からみると、脱物質的価値観の広まりと考えることができる。だが、吉川徹は、権威主義的態度が健康意識の高まりの動因となる側面を持つことを計量分析から明らかにしている(1998『階層・教育と社会意識の形成』)。吉川も述べているように、本来、脱物質的価値観は権威主義的態度とは相反すると考えられる価値観である。本報告では、健康に対する関心の背景にある価値観の問題を検討するために、2005年に東京で若年層を対象にして実施した量的調査のデータを使用して分析を行う。

 分析の結果、明らかになったことは以下の諸点である。①健康に対する関心はいくつかのタイプ分けをする必要があること②権威主義的態度が関係しているのはそのうちあるタイプの健康意識・行動であるということ③権威主義的態度と関連を持っている健康意識・行動は、脱物質的価値観とは必ずしも関連をもっていないということ、等である。

 以上からいえることは、健康に対する関心の高まりの背景には、権威主義的態度が部分的に影響しているため、健康に対する関心の高まりは全面的に首肯できる現象ではない一方、かといって、あるタイプの健康に対する関心は脱物質的価値観と関連を持っていることから、必ずしも否定的にみるべき現象でもないということである。健康についての社会学的分析は、「健康」概念のもつ多様な側面を念頭に置くべきである。

報告概要

赤川 学(東京大学)

 各報告の概要は、以下の通り。  川野報告では、少子化関連政策が「産む」性を中心に「産む」ことを前提として成立していることが指摘された。さらに既存統計の再解釈を通して、「産む/産まない」という対概念の外側にあり、性、年齢、役割などを包括する可能性をもつ<産まない>身体という概念設定の必要性が論じられた。

 堀報告では、1970年代から80年代にかけての先天性四肢障害児父母の会の運動が、「被害」者としての「原因究明」から、親たちが「遺伝したっていいじゃないか」と障害をもつ子どもを迎え入れる反優生思想の実践へと、いかに展開していったかが、詳細な聞取り調査をもとに説得的に論じられた。

 土屋報告では、全国無作為標本抽出に基づいたweb調査に基づきつつ、美容整形やホルモン治療など遺伝子エンハウスメント(治療や健康維持ではなく自己の能力や性格改善を目的とした治療)への忌避感/ニーズが、正確な遺伝子の知識より、記号としての「遺伝子」の認識のされ方に規定されていることが示された。

 皆吉報告では、R.C. FoxとR. DeVriesの議論を中心に「生命倫理の社会学」がいかにして可能かが論じられた。経験的記述を維持しつつバイオエシックスを対象化するFoxのアプローチに対し、R. DeVriesでは「意味」や「文脈」が重視されており、両者の差異が経験科学が「価値」をいかにして扱うかという立場の違いに起因することが指摘された。

 藤岡報告では、2005年、東京の若年層対象の標本調査をもとに、権威主義的態度と健康意識、健康行動の関連が分析された。権威主義的態度と健康への関心には正の相関が存在するが、より詳細にみると脱物質主義的な健康法(有害物質忌避・自然志向)と権威主義的健康法(サプリメント・運動など)といった区別が導入可能であり、両者と権威主義的態度との関連は異なりうることが示された。

 政策や運動の言説分析あり、標本調査に基づく計量分析あり、学説史的検討ありと、身体・生命という研究領域が多様な問題関心とアプローチによって開拓されていることが伺えた。ただいずれの報告においても、経験的な事実や言説と、生命をめぐる価値や規範を、社会学がいかに関連づけるべきかという、基本的にして重大な問いが問われている。この点に関してさらなる相互対話を期待したい。

第12部会:相互行為・生活/意味世界

報告要旨

第1報告

インタビューにおける相互行為秩序

田邊 尚子(一橋大学)

 インタビューは、それ自体どのように成り立ち、行われているのだろうか。このことは、インタビューを実施する上で、また分析する上で大きな問題であるが、これまでしばしば自明視されてきた。もちろんこれまでも、一方では、インタビュー協力者(回答者/インタビュイー)との関係、その築き方について議論されてきたが、まさにそのインタビューという営み、相互行為自体がどのようにしてなされているのかということについては十分目が向けられてこなかった。

 その一方で、近年、インタビューを実践と捉えた上で、発言内容が考察の対象とされるようになってきた。それは、協力者の発言をインタビューの場における物語の構築として捉えたり、インタビュイーとインタビュアーによる共同的な意味構築の場として捉えたりするものであり、インタビューの場でまさにそうした発言がなされていることとして論じる必要性を提示している。

 こうした議論が、これまでその発言内容に焦点を当ててきたのに対して、本報告では、インタビュー自体がどのようになされているのか、役割演技の視点から取り上げ、インタビューにおける相互行為秩序について論じる。そして、両者がインタビューという状況の達成に向けた発言を行っていること、またその中でとられる多層的な役割を指摘し、インタビューにおけるインタビュアーの優位性の問題についての検討を行いたい。

第2報告

価値意識のパラドックスと差別者の構成

片上 平二郎(立教大学)

 差別者は、多くの場合、自らの姿を隠しながら差別行為を行うため、分析対象として観察することが難しい。本報告は、この差別現象の特徴を、差別者の内面における、差別に対する価値意識のパラドックスとともに考察する。差別者は、差別観念を持ちながらも、それが”悪い”ものであるという反差別的な観念も同時に持つがゆえに、差別行為を行う際、自らの姿を隠すものと考えられる。このような差別に対する価値観念の間の対立と葛藤に着目しながら、差別意識という問題を理論的に考えてみたい。

 差別的価値意識を内面化することで、人間は、差別的な観念を持つことになるが、その段階では、いまだ「差別者」になる可能性を秘めた存在であるにすぎない。多くの場合、それとは相反する価値規範である反差別的な価値意識を内面化することによって、現実的な差別行為の実行を制御して、「差別者」となることを避けることが可能である。しかし、この2つの価値意識は相互に矛盾した主張を持ったものであり、その双方を内面化した人間は、ダブルバインド的な状況を自らの内側につくりだし、「葛藤」の感情を持つことになる。この価値規範に関するパラドックスや葛藤の感情は、ときに、差別へと向かう欲望や反差別的な価値観への反感を生み、人間を差別的な行為へと促す複雑な役割を果たすものとしても考えられる。差別的な価値意識は、それに相反する反差別的な価値意識が導入されることによって抑制されるどころか、逆に、そこから生み出されるパラドックスや葛藤によって、より大きなものになっていく可能性がある。

第3報告

「社会復帰」という選択・生活を通して獲得される主体性
――ハンセン病療養所を退園していった人々の経験から

坂田 勝彦(筑波大学)

 本報告は、ハンセン病療養所を退園していった人々の経験に焦点を当てることで、かれらが〈隔離〉の及ぼす力を相対化し、自らのアイデンティティや生活世界の多元的な在り方を獲得していこうとしてきた主体性について検討する。

 1996年に「らい予防法」が廃止されるまで、日本においては全てのハンセン病罹患経験者を療養所へ終生隔離することを目的とする隔離政策が行われてきた。そして隔離政策の下で行われてきた〈隔離〉は、療養所入園者を社会から切り離すという物質的な水準だけでなく、かれらのアイデンティティを管理し、生活世界を一元化する権力として機能してきた。そうした〈隔離〉に対し、療養所入園者の多くは、法規の未整備や社会の根強い偏見・差別のため療養所を出ることが難しいなか、療養所という場所に留まりつつも、〈隔離〉の及ぼす権力を読み替える営みを行ってきた。

 他方で療養所入園者のなかからは、療養所を出て「社会復帰」する人々も戦後になると現れるようになる。なぜかれらは多くの療養所入園者と異なり「社会復帰」という選択を行い、またかれらは「社会復帰」という選択・生活を通して何を獲得していこうとしてきたのか。本報告は、「社会復帰」という選択・生活をしてきた人々の経験を通して、かれらが〈隔離〉の持つ力を相対化し、自己のアイデンティティや生活世界の多元的な在り方を獲得してきた主体性について明らかにする。

第4報告

当事者のパースペクティヴの重要性と限界――心理学化に抗して

大河原 麻衣(首都大学東京)

 後期資本主義としての現代では、社会の流動性が増すことによって、個人としての承認の契機が摩滅すると言われる。個人の尊厳を承認する社会的な関係性を取り結ぶ機会の減少もさることながら、自明性の喪失によって、そもそもなぜ「この関係性の中で承認されねばならないのか」というような関係性自体の正統性も問題となり得る。

 過剰流動性が個人に与える負荷を、個人に還元されるかたちで対処する心理学化の進展は、ギデンズやベックが「私化」と呼ぶもののコロラリーではないだろうか。心理学化は個人の内面に対する関心を高める一方で、心の問題・ストレスの問題の対処を身体に帰する側面を持つ。こうした社会問題の心理学化を介した身体化は、根本的な人間学的な問題や社会構造上の問題を放置する。このような中で、現在、臨床にある当事者らの間から、人を全体として捉えるケアや意味探求のニーズをサポートする必要性がいわれつつある。しかし、このような対処は、ケアする者/される者という人為的で閉ざされた関係性の中での応急処置でしかない。社会的文脈の中で、個人の尊厳を承認する関係性の正統性をいかに回復するかという根源的な問題には、依然として向き合えておらず、私化の域を出てはいない。当事者のパースペクティヴの重要性と、それに拘泥することがもたらす別様な問題について、議論していくつもりである。

第5報告

ケアと仕事の狭間で
――小児がんの子供を持つ母親の葛藤と経験の意味づけ

鷹田 佳典(法政大学)

 小児がんの子どもを持つ家庭では、母親が患児のケア全般(入院時の付き添いや医療従事者との交渉、サポート資源の調達など)において中心的な役割を担い、一方の父親は主に「一家の稼ぎ手」として収入面から闘病生活を支えるというふうに、性別による役割分業がなされているのが一般的である。つまり、共働き夫婦の家庭では、子どもの発病に伴って、母親が仕事を辞めるか、あるいは休職をしてケアに専念する場合が多いということであるが、なかには母親が仕事をしながら子どものケアにあたるというケースもないわけではない。しかし、このような母親の存在は、その数が少ないこともあってか、これまで十分に目を向けられてこなかったように思われる。そこで本報告では、仕事や学業を継続しながら小児がんの子どものケアを行う母親に焦点を当て、その経験や思いについて検討することにしたい。

 今回の報告で取り上げる二人の女性は、いずれも仕事(学業)とケアの狭間で深い葛藤に直面している。このことは、小児がんの子どもを持つ母親をケアへと向かわせる強固な役割期待の存在を示唆しているが、そうした状況のなかで、二人の女性が葛藤や困難を抱えつつも仕事とケアを両立できたのはなぜなのか。本報告ではその理由を探ると共に、彼女たちが自らの経験をどのように(肯定的に)意味づけているのかを明らかにしたい。

報告概要

小林 多寿子(日本女子大学)

 第12部会では5人の若手研究者の報告があった。第1報告の田邊尚子氏(一橋大学大学院)「インタビューにおける相互行為秩序」は、インタビューの成り立ちをとくにインタビュイーに注目してポジショニング理論から検討し、当事者としてのポジショニングがインタビュイーであることを達成し続けているインタビューの相互行為性を示した。

 第2報告の片上平二郎氏(立教大学)「価値意識のパラドックスと差別者の構成」は、日常の「差別」に注目し、「差別」をめぐる価値意識のパラドクスのなかでの「差別」事象の存在とこの「葛藤」を消去しようとする行為が孕む「差別」の暴力性肥大化の可能性を指摘した。

 第3報告の坂田勝彦氏(筑波大学大学院)「「社会復帰」という選択・生活を通して獲得される主体性―ハンセン病療養所を退園していった人々の経験から―」は、ハンセン病療養所を退園した人々への聞き取り調査や体験記をもとに療養所へ引き戻す力とその力とのせめぎあいを生きる実践と<主体性>の遂行を明らかにした。

 第4報告の大河原麻衣氏(首都大学東京大学院)「当事者のパースペクティヴの重要性と限界―心理学化に抗して」は、現代社会における主体化と私事化という二つの個人化の相貌のなかで当事者主義を取り巻く状況を批判的検討し、当事者主義の意義が個人をより広範な社会関係に開くことにあるのに反して対処療法的な当事者主義が自己撞着を促進させてしまう限界を指摘した。

 第5報告の鷹田佳典氏(法政大学大学院)「ケアと仕事の狭間で:小児がんの子どもを持つ母親の葛藤と経験の意味づけ」は、小児がんの子どもを持つ家庭の二つの事例から小児がん患者の母親が伝統的な性別役割分業体制の維持されたなかで仕事とケアの狭間での深い葛藤や罪責感を持つさまを明らかにした。

 以上のような報告のなかに人びとの相互行為へ着目する多様な視点が示されたとおもう。

 

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