第49回大会「自由報告部会」報告要旨・報告概要
▼第1部会:理論と歴史社会学
▼第2部会:社会運動
▼第3部会:福祉国家と政策
▼第4部会:移民と難民
▼第5部会:戦後日本〈トランスジェンダー〉の社会学
▼第6部会:社会階層
▼第7部会:ジェンダーと社会
▼第8部会:エスニシティと文化
第1部会:理論と歴史社会学
報告要旨
P. M. ブラウの交換の概念について
西川 哲生 (立正大学)
パーソンズを筆頭とした構造機能主義は1950年代においてアメリカで,日本では1960年代から70年代前半にかけて,理論社会学界に強い影響を与えた。社会学の通常科学化を促進し,尚かつ社会学理論の支配的な勢いを見せる構造機能主義に対して1960年代以降,各種の対抗理論が登場する。交換理論もその一つとして当時,注目されることになるが,現在その理論研究が隆盛であるとは言いがたい。一方で,同時期に同じく構造機能主義への対抗理論として登場した象徴的相互作用論は今日,社会学において主要な地位を占めている。それに対し,象徴的相互作用論と同じくミクロ領域からの分析を行った交換理論が衰退の方向性を辿ることになったのは何故なのか。特にブラウの交換理論は社会的交換に絞った分析概念と弁証法的な理論構成により,単にミクロ領域を研究対象とするに留まらずマクロ・ミクロ接続への発展可能性を持っていた希有な理論だった。しかし,その一方で彼の理論は概念の抽象化と対象領域の限定が応用を難しくしてしまい,その後の発展を阻んだとも言える。ブラウの交換理論は今日では既に,ブラウ自身が交換理論に携わることを実質的に止めてしまった上に,目立つ理論的継承者も見受けられない。この衰退の原因について,同じく交換理論の祖の一人とされるホマンズの理論を比較することで検討したい。
旅人空間のクリティーク/社会学的リズミクス試論
中島 哲 (早稲田大学)
旅の途上において,異質なものと出会いながらも同質的な空間に佇み,心地良さを感受する瞬間がある。このような経験に対して,構造のグローバリゼーションがもたらした資本移動や類似性という解釈を加える論者もあるが,本報告では,旅人自身が奏でるリズムから生まれる景観という側面に着目し,リズミクスという観点から旅空間を捉えることの社会学的意義を探究する。
L. クラーゲスによれば,「リズム」は分節化された合理性としての「タクト」からは区別される。覚醒されたタクトの体験では語りえぬリズムという概念には,社会や文化には回収できない,旋律を生み出すような生きられた躍動感が宿る。ここでは,喩えるならば,一つの音楽ジャンルが完成されるに至る「ルート」の世界を歴史的に捉え返すのではなく,個々の楽器が奏でる「音」の世界が一つのまとまった音楽に注ぎ込まれる「リズム」に着眼する。さらにその視野を,旅人らによって共有される世界,すなわちリズミカルな方法を介した「生の営み」による空間演出にまで拡げることを試みる。
本報告では,日常的実践を考察する際に「戦術」概念を導入したM. ド・セルトーや,「リズム分析」を提唱し,混沌によって紡ぎ出される異質性がアンサンブルを生み出す契機となることを示唆するH. ルフェーヴルの議論を中心に取り上げる予定である。
文化の基層を語ることについて――池田榮の聖徳太子論を例として
今井 隆太 (早稲田大学)
明治憲法体制の末期に展開された国民精神論のうち,池田榮(1901~1989)による『日本政治学の根底』(昭和17年)の特異性は際立っている。元来は英国政治史専攻で,英国憲法史を通じて英国民精神を研究したが,民俗宗教としての聖徳太子神話を題材に日本精神を対象としたのが本書である。精神文化の基層に位置する神話の扱いには,当時の支配的イデオロギーである天皇制擁護の意図があり,その為,戦後は否定と黙殺の対象となってきた。たしかに近代の国家法学の概念によれば,罰則規定もない太子の十七条憲法は単なる道徳的文書である。しかし池田榮は宗教的法概念により,科学的客観性と価値判断の問題に切り込んだのだといえる。1930年代初頭の欧米に留学し社会科学的厳密さを前提としながら,池田は「語り」としての歴史の復権を主張している。その学問的姿勢においても,抹殺された記憶としても,現代の日本文化論が再び光を当てる時期に来ていると考えられる。
本報告は,戦後公職追放の時期を経て,神話・説話の中に民衆精神を探究しつづけた池田榮の学問的生涯を振り返りながら,文化を見る研究者自身の「語り」の位置に触れて行きたい。ナショナル・ヒストリーをめぐる一連の論議から見れば応用例であるが,比較文化論が様々な角度から文化の基層に潜むものへと探索を進めている現在,先駆的業績の「語りなおし」には相応の意義があるとの認識に基づき,以上のような報告を意図するものである。
都市住宅調査と「住むこと」の発見
祐成 保志 (東京大学)
「住むこと」について語る言説(住居言説)が夥しく生産され,住むことに関わる理念や技術が絶えず意識化され,問いなおされるという現象は,近代社会の一つの特質であると考えられる。本報告は,近代日本における住むという身体的実践の意味を,住居言説の対象化を通じて捉えなおす作業の一環として,1920~30年代を中心とする時期の都市住宅調査を歴史社会学的に再検討するものである。
都市住宅調査は,内務省,自治体,同潤会等によって,1920年代頃から活発に行われるようになる。それ自体として明確に何らかの主張を展開するものではないが,調査は技術的手続きの体系であるとともに対象選別の体系でもある。調査がどのような主題で実施され,どのようなサンプルが選ばれ,何が記録され,計測されたか,ということそれぞれが住居言説の内実を構成する。この時期の住宅調査において注目されるのは,空間(「住宅」「住戸」「地区」…)のモノとしての属性とともに,身体との関係(「住み方」)が記述されるべき対象として見出される過程である。そして,住み方の構造性は,経済的な変数だけでなく心理的な変数,たとえば階層的な欲望の差異によって説明され,さらに住居への欲望は他の欲望と相関させられる。このような調査者の視線が持つ意味を,できるだけ同時代における住居言説の広がりのなかに位置づけながら考察したい。
報告概要
中筋 直哉 (法政大学)
第1部会は「理論と歴史社会学」というテーマが与えられていたが、編成担当者の苦労がしのばれるネーミングで、それぞれの報告が個性的なので、そうした括りを与えることは司会に困難だった。けれども、司会の非力からそうはならなかったが、実際にはそれぞれの報告には互いに重なりあい、響きあうところが少なくなかったように思われる。その意味で、報告者および参会者の方々にお詫び申し上げたい。
第1報告「P.M.ブラウの交換の概念について」(西川哲生)は、ブラウの交換理論をその鍵概念である「互酬性」に注目して解説した上で、それがミクロ・マクロリンク問題に示唆を与えつつも、「互酬性」の実体視とそれへの過度の還元の結果、理論的にも実証的にも展開可能性を見失ったと批判した。ミクロ・マクロリンク問題一般への展開可能性に含みを残した報告だった。
第2報告「旅人空間のクリティーク/社会学的リズミクス試論」(中島哲)は、L.クラーゲスのリズムとタクトの議論に触発されながら、独自の身体論(リズミクス)による社会理論の組み換えを模索するものであった。それは空港などの「旅人空間」に流れる独特の雰囲気や、サルサのような混交的音楽の魅力について新しい理解を与える。身体論による社会理論の組み換えの試みはこれまでも少なくなかったが、身体を動きの流れとして捉えようとする点に、本報告のオリジナリティがあるように思われた。
第3報告「文化の基層を語ることについて」(今井隆太)は、第2次世界大戦中に『日本政治学の根底』を著して体制のイデオローグとなった池田栄の聖徳太子論を検討しながら、戦争という危機の時代に聖徳太子という文化象徴を語ることの歴史性と文化性について考察を加えようとするものであった。単なる知識人論に留まらず民俗心性との接点において思想の可能性と限界を捉えようとする点に、本報告の知識社会学としての新しさがあるように思われた。
第4報告「都市住宅調査と『住むこと』の発見」(祐成保志)は、大正から昭和戦前期にかけての都市の不良住宅をめぐる専門家たちの議論を精密に検討することから、住宅をそこで営まれる生活と強く関連づけていくこと、ルフェーヴル流に言えば「住むこと」を「居住地」に囲い込んでいくような、技術から言説にわたる複合的な社会的実践が歴史的に成立してくる様を明らかにしようとした。紋切型の「近代の誕生」図式に陥るおそれがないでもなかったが、もう少し広い歴史的視野と現代的価値関心によって支えられるならば、都市社会学や家族社会学の批判的展開に寄与するところの多い報告のように思われた。
第2部会:社会運動
報告要旨
並行在来線経営分離問題をめぐる政治過程
――北陸新幹線建設における信越本線経営分離を事例として
角 一典 (北海道大学)
整備新幹線建設においては,新幹線と並行する在来線の経営分離が着工への前提条件となっている。多くの分離区間においては,県を主体とする第三セクター鉄道への移行という方向で問題の決着を図ろうとしているが,これら一連の政治過程においては,県による巨額の財政負担・第三セクター会社の経営不安・JR貨物問題など,さまざまな問題が生じている。1997年10月に,整備新幹線の中でもっとも早く開業に漕ぎ着けた北陸新幹線高崎-長野間では,第三セクター会社「しなの鉄道」がJRから経営を引き継いで並行在来線を運行している。しかし,しなの鉄道は,経営分離区間が比較的輸送密度が高いとされていたにもかかわらず,今日に至るまで当初掲げた経営目標を達成できていない。今後経営分離を迎える線区は,先行事例である信越本線よりも輸送密度の点で劣位にあり,経営に対する不安の度合いはさらに高まっている。
本報告では,北陸新幹線高崎-長野間を中心的事例として,さまざまな問題が発生する要因を分析する。これらの諸問題は,問題を討議する場である「アリーナ」の断片化・階層性・不遡及性に起因すると同時に,意思決定における情報選択の恣意性・自己完結型意思決定・意思決定における住民不在など,諸々の複合要因によって問題が深刻化する。そして,一連の過程においては,県が決定的な役割を果たしているのである。
情報化社会における違法・有害情報への対処について
――表現・思想・信条の自由と,表現に対する法的責任の狭間で
工藤 浩 (大妻女子大学)
インターネット上を流通する違法・有害情報について,プロバイダの自主規制のみで対応するのではなく,当局による取り締まりを望む声が高まっている。それを受けて,各省庁とも,IT関連法案の立法化とともに,具体的な法規制を急いでいる。
本報告では,違法・有害情報のなかでも,とくに名誉毀損表現を取り上げて論じる。なぜなら,名誉毀損の立件は,他の違法・有害情報と違い,被害者の親告によるので,第三者によって客観的に判断できる基準を作りにくいという面があるからである。しかも,インターネットの特性を鑑みると,インターネット上を流通する違法・有害情報のすべてを特定の機関なり個人が監視できるのかという問題も生じる。
また,違法・有害情報除去の名目で,国や自治体に民事介入の口実を与え,その結果,検閲行為が行われたり,表現の自由,思想の自由等が侵害される虞もある。さらに,プロバイダが,被害者の被害拡大を迅速に防止しようとして,当該表現を被害者の了承も得ないうちから削除してしまうと,かえって,「証拠隠滅,事実の揉み消し」という疑いが掛けられたりする。
被害者側にしてみれば,加害者を提訴しようとしても,事前に削除されてしまったら,証拠となるはずの表現を失うことになる。被害者の被害の拡大防止か,加害者の責任追及か。その狭間にあって,プロバイダと被害者は山積する諸問題と増殖するジレンマに悩まされるのだが,本報告では,そうしたジレンマに直面した場合,とくにプロバイダやシステム管理者らは,どのような選択をすればよいのか,実際に我が国で裁判になった事例を中心に検討した。
一つは,我が国で最初のネット訴訟となった「ニフティ事件」である。従来の名誉毀損事件ならば,当事者である被害者と加害者の間で争われるのであるが,本件においては,第三者の立場であるパソコン通信事業者であるニフティと,会議室の管理運営にあたるシスオペ(システム・オペレータ)にも共同責任が問われている。この事件からは,実際には名誉毀損行為に関わらない第三者の管理責任をどう問うべきかという問題が生じる。
もう一つは,「東京都立大学HP事件」である。学内のHPに名誉を毀損する文章を載せられたとして被害学生が,加害学生らとともに,大学の管理責任を負うとして,東京都ならびに東京都知事を訴えた事件である。この事件からは,自治体の民事介入という問題の他に,大学の自治のあり方というものに対しても,重要な問題提起が為される。
【追記】両事件ともに,東京高裁で控訴中である。ニフティ事件のほうは,3月21日に控訴審が結審し,その後判決が下される予定であるので,その結果如何によっては,報告内容が若干変更されることがあることを,あらかじめお断りしておきたい。
フェミニズム再考
──〈従軍慰安婦〉問題に対する女性運動のとりくみを事例として
松田 紘子 (東京大学)
本報告は,1990年代日本における〈従軍慰安婦〉問題に対する市民的取り組み――いわゆる〈慰安婦〉運動を紹介すると共に,現代日本のジェンダー研究,また社会運動研究の課題について検討したい。
2000年12月に東京において「日本軍性奴隷制を裁く 女性国際戦犯法廷」が開催された。この民間法廷は,約300の市民団体の賛同によって実現したが,最大の支持勢力は東アジア地域の女性運動団体であった。大規模な市民的イベントが東京で実現した背景には,10年間にわたる東アジア地域の女性運動のうねりと,世界的な女性の人権運動の発展があった。本報告では,様々な分野で議論がなされている〈慰安婦〉問題を第二次世界大戦後の女性運動の歴史に注目して分析する。報告者は,2000年に,90年代前半に日本で〈慰安婦〉運動に関わった運動家に対するインタビュー調査とアンケート調査を行った。本報告では,運動家の解釈枠組みを重視し,日本における〈慰安婦〉運動が当初どのような解釈枠組みに基づいて展開し変容したのか,また解釈枠組みの変化は運動の形態をいかに変えていったのか報告したい。
過去30年の間に,フェミニズムの思想研究・ジェンダー研究はめざましい発展を遂げた。しかし,現代日本の女性運動を対象とし,社会科学的に分析する試みは乏しい。〈慰安婦〉問題に関する検討をふまえて,「ジェンダーとナショナリズム」や「アイデンティティの政治」など今日的なテーマを論じる上で女性運動を研究することの意義と課題を提起したい。
報告概要
大畑 裕嗣 (東洋大学)
第1報告、角一典(北海道大学)「並行在来線経営分離問題をめぐる政治過程―北陸新幹線建設における信越本線経営分離を事例として―」は、横川―軽井沢間の在来線廃止と軽井沢―篠ノ井間の第三セクター鉄道化の決定過程の特徴として、(1) 県による情報選択の恣意性、(2) 県の問題先送りによる状況の悪化、(3) 関連市町村や地域住民の鉄道問題にたいする利害関心の程度の差がもたらす影響、という3点を指摘し、当該の政治過程は、県が決定的な役割を果たす「自己完結型意思決定」であり、異議申立てのための対抗勢力の多くは、基本的に自治体主導型の「官製」運動だったと述べた。報告にたいし、この事例の住民運動を「自治体」主導と呼ぶことの妥当性と運動の実情、交通流動のデータと地域間の対抗意識が決定過程に与えた影響、地域内の反対派と賛成派の動向についての質問がなされた。
第2報告、工藤浩(大妻女子大学)「情報化社会における違法・有害情報への対処について―表現・思想・信条の自由と、表現に対する法的責任の狭間で―」は、システム管理者やプロバイダの管理責任が問われた内外のいくつかの裁判の判決例を列挙した後、それらの判決に内在する問題点と、インターネットを法的に規制しようとする政府の対応を批判的に論評した。そのうえで、ユーザ間の「ネチケット」と「ローカル・ルール」の重要性を指摘し、法的手段など「力」の行使はかえって混乱を招くとして、「ローカル・ルール」からより普遍的な「ネット倫理(nethic)」が構築されていくという展望への希望を述べた。報告にたいし、現行の「ローカル・ルール」についての、より実証的な調査の必要性が提起され、また深刻で緊急性のある被害への対応は如何という、現実的に差し迫った観点からの指摘もなされた。
第3報告、松田紘子(東京大学)「フェミニズム再考―<従軍慰安婦>問題に対する女性運動のとりくみを事例として」は、従軍慰安婦問題行動ネットワーク(行動ネット)のとりくみにフレーム分析を適用して、(1) 日本における「慰安婦」問題へのとりくみは、戦後日本女性運動の、反戦平和、反植民地主義への思想と実践の系譜に位置づけられる、(2) 「慰安婦」問題は、「民族(ネイション)」フレームと「性暴力」フレームの拮抗のなかで構築された、(3) 韓国の運動に見られるような「階級」フレームは見出せない、と結論した。報告にたいし、「フェミニズム再考」の意味、韓国の運動の本格的な分析を行わなかった理由、構築された「問題」に対する「自由主義史観」からの反論、運動家のフレームと被害者のフレームの異同、抽出されたフレームは「合意動員」のフレームか「合意形成」のフレームか、根底にある歴史認識と植民地支配の問題など、多様な論点に関連する発言があった。
第3部会:福祉国家と政策
報告要旨
日本における福祉国家の趨勢分析
――社会保障費の変動をめぐる決定要因
小渕 高志 (武蔵大学)
産業化と福祉国家というテーマは収斂仮説を検証するうえで格好のケーススタディとしてこれまでに何度も取り上げられてきた。福祉国家研究はすでに国家類型論を模索する段階にきているが,より精密な類型論を構築するためには,当該国の福祉国家の展開過程を遡及して分析することが前提として求められる。
そのため,本考察では日本における福祉国家の発展を促してきた要因として,(1) 高齢化,(2) 産業別就業人口の比率構成の変化,(3) 政治的脈絡の3点に着目し,福祉国家の形成過程についてマクロデータによる計量分析を行なった。また,社会保障の各制度部門別費用を上昇させた要因を,(1) 人口,(2) カバリッジ,(3) 1人当たり給付額などの伸びに求め,重回帰分析によってそれらの比重を計測していくことで,どれが最も効果を及ぼす要因であったかを明らかにした。
その結果明らかになった福祉国家の発展の趨勢における主要なファクト・ファインディングスとは,(1) わが国の社会保障支出の水準を決定するうえで,人口の高齢化要因の比重が政治・経済要因よりも格段に高いこと,(2) 各制度部門別に見た制度を発展させる決定要因のうち,多くの場合1人当たり給付額の上昇がそれぞれの制度を発展させた最大の要因となっていること,という2点であった。
これまで記述的に語られることの多かった社会保障費用の増大を促す要因を計量的に示すことができ,制度的比重の変化を明らかにできた点に,本考察の意義があるのではないだろうか。
福祉国家のジェンダー化と家族分析の視角
――日本におけるケア政策の展開との関わりで
平岡 佐智子 (青山学院女子短期大学・昭和大学医療短期大学)
福祉国家の成立,発展と再編の分析におけるジェンダー視角の重要性については改めて指摘するまでもない。この福祉国家のジェンダー化という課題に取り組むにあたっては,家族規範や家族戦略といった家族に関する要因,および労働市場の構造と機能に関する要因を組みこんだ分析モデルが求められる。現代日本の家族および性別役割分業に関するこれまでの研究成果に照らしてみたとき,福祉国家研究におけるそのような要因の組み込み方には,さらに検討すべき課題が残されている。
現代日本における家族規範に関していえば,階層や世代などによる相違がみられ,また,状況依存的であり,けっして固定的,整合的なものとはいえない。あるいは,社会政策をめぐる国家と世帯と個人の相互関係は「取引的」であり,家族規範あるいは国家によって一律に規定されるものではない。特に,ケアに関わる政策の分析にあたっては,このような観点が重要である。本報告では,このほか,家族責任と義務,世帯単位原則と個人単位原則,機会の階層性の再編といった問題について,近年のケアに関する政策の展開にそくして,検討を行う。
ドイツにおける「仕事と家庭の両立支援」
――シュレーダー政権にみる雇用政策の新展開
柚木 理子 (川村学園女子大学)
時短も進まず,労働分野における女性の地位もなかなか向上しない日本がいかにして男女共同参画型社会を形成していけるのか,本発表においては,ドイツを事例として,雇用政策における「ジェンダーの主流化」の課題を「仕事と家庭の両立支援」の観点から考察する。
ドイツにおいてはオイルショック以降,ワークシェアリング政策が展開され,時短が進む一方で,女性パートタイマーが大量に産み出されるというジェンダーバイアスの強い雇用政策が展開されてきた。だが,1998年9月にシュレーダー率いる社会民主党と90年連合・緑の党の左派連立政権が誕生してからというもの,「ジェンダーの主流化」を掲げた政策が打ち出されている。
本報告では,1)オイルショック以降のドイツにおける雇用政策の流れを概観し,2)「仕事と家庭の両立支援」,並びにパートタイム労働の観点から,シュレーダー新政権の目指す「働き方」や「家族のあり方」を分析する。性別分業観が根強く残るドイツにおける残された課題を考察し,これらの分析を通じて日本への示唆としたい。
報告概要
野呂 芳明 (東京学芸大学)
本部会は,報告予定者1名のキャンセルがあったため,小渕高志氏「日本における福祉国家の趨勢分析」および柚木理子氏「ドイツにおける『仕事と家庭の両立支援』」の2報告がおこなわれた。まず小渕氏の報告は,1955年~85年の30年間にわたる日本の社会保障費の変動(GDPに占める比率の上昇傾向)がどのような要因によって説明されるのかをマクロ的に分析したもので,日本の福祉国家の展開過程を明らかにしていこうとする意欲的な内容であった。次に,柚木氏の報告は,オイルショック以降から現在のシュレーダー政権に至るドイツの雇用政策について,仕事と家庭の両立策として女性のパート労働者化が推進されてきたこと,それが1990年代後半以降に「ジェンダーの主流化」へと潮流が変わり,とりわけ左派連立のシュレーダー政権成立以後には伝統的性別分業の政策的見直しが積極的に始められていること,等を明らかにするものであった。
両報告終了後,活発な討議が展開された。2つの報告が直接扱っているテーマは異なっているものの,それぞれが照射し合う論点はいくつか存在する。その重要な一つに家族・ジェンダーの問題がある。それはエスピン・アンデルセン等の福祉国家類型論のようなマクロ分析において重要な要因の一つに位置づけられており,小渕氏の報告においても当然目配りがされていたが,その効果は複合的でやや読みとりづらいというものだった。一方,柚木氏の報告はこの問題を直接扱っており,そこではドイツの雇用におけるワークシェアリングや雇用流動化政策が,男性はフルタイム,女性はパートタイムという分断につながり,既存のジェンダー関係を前提にし,かつ強化する方向に作用してきたことが指摘された。
そして第二の論点は,政権交替のような政治的要因の重要性である。ドイツの雇用政策は,16年間続いたコール政権からシュレーダー政権への交替によって,大きな質的転換を遂げつつあり,そこではフルタイムとパートタイムの境界を低くし,男女でなく,育児期とそれ以外というようなワークシェアリングを視野に置き,育児休暇も両親が同時に取得できる「両親のための時間」へと根本的に理念を異にする法改正が行われたという。一方,日本の場合には,議会における多党化傾向のなかで,福祉国家発展においてとりわけ「中道」政党の果たした役割が重要な意味をもってきた,と小渕氏は指摘した。ただし,中道を左-右の中間に操作的に位置づけると,その効果が中立的になってしまうところに,マクロモデルの課題があるということだった。
全体として,両報告は対象とする国も方法論も異なっていたが,それにもかかわらず上記のような論点を共有していたところに,現代福祉国家の置かれている背景が読みとれたように思われ,意義の高い部会であった。
第4部会:移民と難民
報告要旨
カンボジア難民の日本社会への移動と再定住
――インドシナ難民政策との関連で
鈴木 美奈子 (立教大学)
「インドシナ難民」は,100万人以上が30カ国以上に及ぶ先進諸国に定住しているグローバルな現象である。日本政府の受入れ自体も,先進諸国の取り決めに基づき,国際支援の文脈で,1978年の閣議了解を期に実施された。受入れの規模は決して多くはないが,受入れ自体が「単一民族国家」を標榜する日本国家においては相矛盾する現象であった。それゆえ,国家の同質性を所与とする社会において,どのような人が望ましい成員と考えられているのか,という日本の国家的アイデンティティが問い直される契機となったと考えられる。本報告は,このような視点から,「インドシナ難民」カテゴリーで来日したカンボジア出身者がいかなる人々であったのか,ということを検討するものである。難民の移動は,「非自発的移動(involuntary migration)」に位置付けられ,目的地があらかじめ選択できる「移民」の国際移動とは性質を異にしている。カンボジア難民の場合も,現在約1260人が日本に定住しているが,1975年,及び1979年のカンボジア国内の政変に起因しており,脱出当初は日本定住を想定していなかった者がほとんどである。そこで,本報告では,グローバリゼーションとナショナルな動きに規定された「インドシナ難民」のカンボジア出身者の移動と再定住過程を,特に難民キャンプにおけるインドシナ難民政策との相互作用に着目し,検討する。
戦後日本における国外移動・滞在とその表象
酒井 千絵 (東京大学)
本報告では,戦後直後から現在にかけて,日本人の国外渡航・滞在がどのような規模と厚みを持って行われてきたのかを明らかにする。また,こうした海外滞在が,国内の移動やそれ以前の国外移動との対比のもとでどのように表象されてきたのかを,政策,マスメディア,社会科学的な研究,および当事者の言説を相互に比較し,分析する。
戦後日本においては,大陸からの引き揚げがすすみ,日本からの出国が非常に困難であった数年間の後,海外へ渡航する日本人の数は増大していった。同時に,その国外渡航・滞在の目的やスタイルは,日本社会の変容とともに変化している。現在では,年間1500万人を越える日本人が国外に出国しており,1980年代以降の「観光」を目的とする国外渡航の爆発的増大を継続しながらも,留学や就業など長期滞在志向が次第に増加していると言える。
本報告の主要な目的は,日本人の出国にかんする数量的な変化が,戦後日本における国外渡航・滞在の表象にどのように反映されたのか,あるいは表象の側の変容が,人々の国外渡航・滞在のスタイルにどのような影響を与えたのかを考察することである。特に,国外渡航・滞在の表象が,日本文化論をはじめとする戦後日本における均質な日本社会の表象と相互に関連していると同時に,矛盾し,相対する表象を構築していることを明らかにする。国外渡航・滞在の表象を通して,日本社会のイメージの構築とその解体を考察することを視野に入れ,報告を行いたい。
国際移民の組織的基盤
――移住システム論の意義と課題
樋口 直人 (徳島大学)
本報告の目的は,移住システム論と呼ばれる一連の研究をサーベイし,研究上の論点を整理することにある。移住システムとは,「移住を促進し,その量的・質的な面を規定するメゾレベルの制度的布置連関」であり,国際移民におけるメゾレベルの組織ないしネットワークにより,移住の規模や方向,持続を説明しようとするアプローチを指す。報告は大きく2つのパートに分かれる。第1のパートでは,既存の移住システム論を整理し,学説の展開,移住システムの理論的前提,その機能や説明対象を明らかにする。第2のパートでは,移住システム論が主にアメリカの経験的研究を通じて発展してきたことを踏まえて,その文脈拘束性を指摘する。すなわち,地縁・血縁ネットワークが発達したアメリカへの移民に関しては,そうしたネットワークからなる「互酬型」の移住システム論が説明力を持つ。しかし,斡旋組織が支配する移住においては,互酬型ではなく「商業型」の移住システムが成立するため,従来の移住システム論とは異なる立論が必要になる。以上を受けて,単一の移住システム論から移住システムの比較社会学が必要であるという観点から,さしあたりの作業としてアメリカとアジアという文脈の相違を比較する。
報告概要
渡戸 一郎 (明星大学)
以下の3つの報告が行われた。鈴木美奈子「カンボジア難民の日本社会への移動と再定住-インドシナ難民政策との関連で」は、Kunz,E.F.の難民移動モデル(Vintage-Wave Model)を参照枠として、日本に定住したカンボジア難民の聞き取り調査データの実証的分析を試みたもので、主にキャンプにおける移動過程で、各レベルの難民政策の「選別」とそれに対する難民の戦略や適応がなされ、彼/彼女らが均一な集団に加工されてゆく状況と、難民受け入れを契機とした難民ネットワークの形成が指摘された。
第二報告、樋口直人「国際移民の組織的基盤-移住システム論の意義と課題」は、「移住システムの比較社会学」を構想しつつ、主として北米での知見を基盤に構築された従来の移住システム論を「互酬型」モデルと相対化した上で、アジア諸国において主要な移住システムを「商業型」と位置づける必要を説く意欲的な報告であった。以上の二報告に対しては、「ヴィンテージ」と「ウエイブ」の関係や、何が「互酬型」と「商業型」を分けるのかといった、各モデルの有効性と適用の妥当性をめぐって質疑が交わされた。
これに対して第三報告、酒井千絵「戦後日本における国際移動とその表象」は、日本人の出国の量的な変化が、戦後日本における国外渡航・滞在の表象にどのように反映され、また、表象の側の変化が人々の国外渡航・滞在のスタイルにどのような影響を与えたのかを探るとしたが、作業仮説とデータ分析の方法論、さらに言えば研究の戦略的視座が明らかでない印象を受けた。大きな研究テーマをどのように分節して研究していくかが問われるだろう。
第5部会:戦後日本〈トランスジェンダー〉の社会学
報告要旨
「女装者」概念の成立
三橋 順子 (中央大学)
元来,女性の服飾を意味する「女装」という言葉が,身体的な男性が女性の服飾を身にまとう行為(異性装)を意味するように転化し,さらにそうした異性装者を「女装者」と呼ぶようになり,その当事者たちも「女装者」としてのアイデンティティを持つに至る過程を考察する。
近代以降の明治~昭和初期において社会的に顕在化していた異性装(女装)者は,女装の芸能者である歌舞伎や芝居の「女形」のみであった。続いて戦後の1940年代後半の社会的混乱期には女装のセックス・ワーカーである「男娼」が顕在化し,さらに1950年代になると非男性的な(女装を含む)ファッションで接客する飲食業としての「ゲイバー」が成立し,そこの従業員が「ゲイボーイ」と呼ばれるようになる。
一方,1950年代末頃から「女形」でも「男娼」でも「ゲイボーイ」でもない,つまり女装を職業とせず,純粋なアマチュアの立場で趣味として女装を行う集団が出現する。こうした人々が,1960年代以降「アマチュア女装愛好者」「女装者」として概念化され,1970~1980年代には,プロフェッショナルな女装者である「ゲイボーイ」→「ニューハーフ(ミスター・レディ)」に対して,アマチュアの「女装者」として位置付けられていく。
そうした過程を,雑誌文献などによって跡づけながら,日本の〈トランスジェンダー)社会史における「女装者」成立の意味を考えたい。
「男性同性愛者」と「MTFTSG」の分節化
村上 隆則 (成城大学)
今日の「啓蒙的」なセクシュアリティ論は,性現象を〈生物学的性別の系〉〈性自認の系〉〈性的指向の系〉という3つの軸のもとでマトリックス化し,それぞれの枠内に確定的アイデンティティ(たとえば生物学的性別が男性・性自認が女性・性的指向が女性であれば『MTFTSレズビアン』)を割り当てるという整序された体系を用意しており,この体系のもとでは,同性愛者とトランスセクシュアル/ジェンダーは全く別種のカテゴリとして定位される。しかし戦後の日本で使われてきた「同性愛者」「第三の性」「ゲイ・ボーイ」「ブルーボーイ」「男色者」「人工女性」などの民俗範疇folk categoryは,いずれも上記の3つの問題系を横断しつつ有徴化された,いわば異種混淆的なカテゴリであった。特に1945年から1950年代末にかけては,現在であれば「男性同性愛者」「男性セックスワーカー」「MTFトランスセクシュアル/ジェンダー」「女装者」などと呼ばれて区別されたであろう人々が,「ノガミ(上野)」という場における交通の中でゆるやかな共同性を形作っていたことが伺える。本発表では,こうした異種混淆性が時代とともにどう変遷し,どう分節化していったのか,そのプロセスを文献資料を用いながら明らかにしたい。
「回復」された性転換手術の医療行為性
石田 仁 (中央大学)
日本における,性転換手術に関与する医療チーム(および関連の専門家)は,性転換手術という行為がいかに「医療行為」であると述べているか,主に,彼らが援用する法言説に注目してその主張のしくみをあきらかにする。
ブルーボーイ事件の判決以降,少なくとも30年近く,訴追された医師が施したような性転換手術は「医療行為ではない」とされてきた。しかし埼玉医科大学の医療チームをはじめとする専門家の積極的な啓蒙により,従来の見解に反する潮流が急速に台頭し,90年代終盤には性転換手術は医療行為性を「回復」する。現在,医療行為性の問題は,当事者を含めた議論の最前線からすでに退いてさえいる。
しかし,いかにしてそのような変化が果たされたか?
性転換手術は正当な医療行為であると主張するためには,性同一性障害という疾患概念の確立や,「その疾患由来の苦痛を軽減する」といった,医療内部で完結した根拠だけでは不十分で,医療外部の言説をたくみに取り入れることが必要であった。なぜならそもそも「正当な医療行為」「治療行為性」等という言葉自体が刑事法に関連づけられた用語であり,日本固有の状況でいえば,性転換手術は現行法に抵触しない(傷害罪ではない)という証明も,同時に迫られていたからだ。したがって本発表は,医療チームが法言説をどのように資源とすることで性転換手術には医療行為性があり,非犯罪行為であるかを示していったのかに注目する。
「性同一性」の構築と「性」の編成
杉浦 郁子 (中央大学)
「性同一性障害」をめぐる医学的言説において,「性同一性gender identity」がどのように構築されたかを考察する。そこから明らかになるのは,「性」という対象がいくつかの領域に分節され,それと同時に,分節された領域が相互に関連づけられていくような「性」の編成のされ方である。
本報告がデータとして使用するのは,埼玉医科大学が「性同一性障害」の治療の一手段としていわゆる「性転換手術」の実施を検討し始めた1990年代後半以降の,国内の「専門家」たちによる論文や著書である。なかでも着目したのは,「ヒトの性」についての予備知識や,「性同一性障害」の鑑別診断にかんする記述である。「性同一性」は,「生物学的性」「社会心理学的性」「性的指向」「性的興奮」などとの差異/かかわりにおいて,「性同一性障害」は,「半陰陽」「フェティシズム的服装倒錯症」などとの差異/かかわりにおいて示されるが,そのような言語的実践を通して,「性同一性」のみならず,「性」を成り立たせるさまざまな領域が,一定の特徴を付与されたものとして構築され,配置されていく。
本報告は,「性同一性」との関連において分節・編成されていく「性」のあり方と,その編成自体に理解可能性を与える方法,すなわち「常識的」な知識を動員しながら「専門的」な知識を仮構していくやり方を明らかにしたい。
「真のTS(トランスセクシュアル)」をめぐる実践と精神療法
鶴田 幸恵 (東京都立大学)
1998年,埼玉医科大学において日本で初めて「正当な医療行為」としての「性別再判定手術(俗にいう性転換手術)」が行われた。それに先立って1996年に埼玉医科大学が「『性転換治療の臨床的研究』に関する審議経過と答申」を発表し,1997年に日本精神神経学会が「精神療法」→「ホルモン療法」→「手術療法」からなる治療のガイドラインを策定した経過を含め,この問題はメディアを通してしばしば報道され,社会的関心も高まっている。
これらの報道は,手術を望む当事者が幼い頃から一貫して解剖学的な性別とは反対の「心の性」を持っており,表現形も「その性らしい」ことを強調し,これらの要因を「生物学的なもの」だと説明する傾向がある。つまりこれまで性差とされてきた「身体」ではなく「心」にこそ性差があると再定義しているのだ。この「心」のあり方を見定め,誰が手術を許されてしかるべき当事者(医療の用語では「中核群のTS」)であるかを選別する役割を担っているのは精神科医である。その「門番」としての役割,それに伴う弊害はこれまでも指摘されている。
本報告では,このような報道を通じて,また医療者によって語られる「性転換療法をめぐる知識」,特に「手術を許されてしかるべき当事者とはどのような人々であるのか」という定義が,どのような実践によりなされているのかを,一昨年から私が行っている当事者への聞き取り調査を基に検討したい。
報告概要
笠間 千浪 (神奈川大学)
大会2日めの自由報告部会(第5部会)では、5つの報告がおこなわれた。いずれも、「性別越境」現象を構築主義アプローチや言説/表象分析などを採用して考察したものである。
なお、大別すると、村上隆則報告(「男性同性愛者」と「ゲイボーイ」の分節化)と三橋順子報告(「女装者」概念の成立)は、マスメディアにおける表象やサブカルチャーにおける概念およびカテゴリー形成過程を扱っており、一方、石田仁報告(「回復」された性転換手術の医療行為性)、杉浦郁子報告(「性同一性gender identity」の構築と「性」の編成)、鶴田幸恵報告(「真のTS(トランスセクシュアル)」をめぐる実践と精神療法)は、いわゆる「性同一性障害」をめぐるテーマを扱っている。
三橋報告は、原義として女性の服飾を意味していた「女装」という言葉が、1950年代以降、次第に男性の「異性装」行為のみを意味するように転化していったことを跡付けた。そして、1950年代末頃から女装を職業としないアマチュアの立場の「女装(愛好)者」というサブカルチャーが形成され、そこでは「職業としての女装者(ニューハーフ)」、MTFTG、男性同性愛者などのカテゴリーとも異なるアイデンティティが形成されていると指摘した。
村上報告は、1930-60年代の一般雑誌・書籍における「女性化した男性」をめぐる性的カテゴリー表象の変遷の考察のなかで、はじめは性科学(性欲学)コードの同性愛というカテゴリー内で意味付けされていた「女性化した男性」表象(ゲイボーイ)が、次第にそのカテゴリーから分離され表象されてきたことを指摘した。
石田報告は、性転換手術が「医療行為」であることをめぐる言説の検討で、1995年までは言説は定型化されていなかったと指摘した。しかし、倫理委「答申」の直後に定型的な「性転換手術=違法」言説が爆発し、その後、日本精神神経学会の「ガイドライン」(1997)を境として「慎重なステップ=医療」言説が正当性を獲得することになるプロセスをみれば、「違法」言説が性転換手術の「医療行為性」の「回復」のために必要不可欠だったことがわかるという。
杉浦報告は、「性同一性障害」に関する医学的言説において、「性同一性」との関連において分節・編成されていく「性」のあり方と、「常識的」な知識を動員しながら「専門的」な知識を仮構していくやり方を構築主義アプローチで分析した。
鶴田報告は、「トランスジェンダー」の当事者への聞き取り調査を通して、「手術を許されてしかるべき当事者」(「真のトランスセクシュアル」「TS・中核群」)という医学的定義を当事者がどのように把握し、また「精神療法」の場における実践がどのようになされているかを検討した。それによって、医療の認識を支える「TS・中核群」カテゴリーが、当事者と医療者との共同実践によって「実体化」され、「手術を許されてしかるべき当事者」と「そうでない当事者」との境界が構築され、そのプロセスで医療の設定する「境界」はより強固になっていることを提示した。
以上の各報告で共通しているのは、日本社会における言説/表象や当事者たちの聞き取りを丁寧に分析・検討することであり、そのような研究態度は、とかく「道徳論議」に終始しそうな議題をより慎重にみていくことを可能にしているといえよう。そして、そのような分析・検討の試みのなかでこそ、日常的な権力作用もしくはポリティクスが明らかになるのではないだろうか。
第6部会:社会階層
報告要旨
明治期における歯科医師参入者の階層構成について
押小路 忠昭 (明治学院大学)
報告の主題は専門職における階層的開放性の問題についてである。階層的開放性が達成されるためには社会環境において業績主義が成立していることが前提とされよう。
T. パーソンズは専門職の発展を「現代社会の職業体系において起こったもっとも重要な変化」とみなし,専門職の果たす役割に近代社会の未来を託したのである。彼は自身の示した5つの「パターン変数」を用いて専門職と業績主義の問題を説明する試みを行っている。だが1960年以降起こったパーソンズ批判の潮流中で彼の示した近代社会と専門職のイメージに対し様々な疑義が向けられるようになった。
報告においては彼の示した専門職と業績主義の問題を,「近代社会において専門職制度が業績主義を達成させる上でいかなる役割を果たすか」という問題設定に組み直し,これが結果としていかに階層的開放性に結び付いて行くか具体的な歴史的事例をもとに論証していきたいと考える。
専門職として明治期の歯科医師に注視し,当時の医籍簿である『杏林要覧』を素材とし,それをもとに明治時代の歯科医師への参入者に対するコーホート分析を行い,階層的構成の変化を分析する方法を採用する。
パーソンズ批判とそれ以後起こったパーソンズ再評価の論旨を視野に入れつつ,この作業をもとに彼の描き出そうとした近代と専門職に纏わる問題提起が,いかなる時間的・空間的普遍性を達成しうるか検証する試みを行う。
労働市場における役職獲得の規定要因
──ジェンダー効果の検討
村尾 祐美子 (お茶の水女子大学)
労働市場においては,労働報酬としてさまざまな社会的資源が分配されているが,その分布は男女で大きく異なることが知られている。このような社会的資源の男女間格差を生じさせる原因としては,(1) 個人属性に関する男女差,(2) 就いている職の性質に関する男女差,(3) 他者との社会的関係のなかで「男性」「女性」を差異化し序列化する営み(ジェンダー)の3つが考えられる。
本報告では,重要な社会的資源の一つである役職獲得の規定要因について検討するため,はじめての役職獲得を対象とするイベント・ヒストリー分析を,SSM調査データを用いて行う。被雇用者全体および男性のみの分析結果から,個人属性,職の性質,「性別としてのジェンダー」(個人Aの性別が個人Aの資源の多寡を左右するということ)が役職獲得の規定要因となっていることが明らかになった。また,初職で中小企業(従業員規模300人未満)ホワイトカラーに入職した被雇用者についての分析から,このような男性被雇用者の役職獲得確率は,「関係としてのジェンダー」(他者の性別が,個人Aの資源の多寡を左右するということ)によっても規定されていることが明らかになった。この結果は,男性のみを対象にした研究においても,社会的資源分配の規定要因として「本人の属性」と「職の性質」を考慮するだけでは不十分であり,男女の関係性(ジェンダー)を重要な要因として考慮すべきことを示している。
フィリピンにおける都市新中間層の形成とその社会的性格
──上流中間層を中心として
池田 正敏 (東洋大学)
1980年代後半以来,知識集約的・サ-ヴィス志向的産業構造の展開及び人々の教育水準の高まりに伴って,従来その存在が目立たなかった一群の人々がフィリピン社会に登場してきた。彼らは,事務的職業従事者を中心とした,管理的職業従事者,専門的技術的職業従事者など,新中間層と呼ばれる人々である。このうち,経営管理的職業従事者の太宗は中間管理職であるが,この分野には多くの女性と若い年代の者が進出しており,フィリピンに於ける新中間層現象がメリトクラシ-の進行と結びついていることを示唆している。
世代内移動の点で注目されることは管理的職業への移動と共に事業経営者への移動も無視することはできない。これはフィリピンの中間層のキャリアアップの過程にはふたつのル-トがあることを示している。ひとつは公式組織の中で管理職へと階梯をのぼっていくル-トであり,いまひとつは公式組織から独立・起業して事業経営者となっていくル-トである。
新中間層を特徴づけている社会的性格として以下のような諸点を上げることができる。
- 女性の世帯主割合が30%を越えていることに示されるように世帯内で女性の占める地位が高いことである。
- 新中間層を特色づけている社会経済的要因は何と言ってもその高い所得水準であるが,所得水準に劣らず重要なものがライフスタイルであり,彼らは高級住宅地のエアコンの効いた一戸建てに住み,自家用車によって通勤し,健康志向的である。
- 新中間層の人々は学歴の高い父親の子供であってその学歴も高いが,それだけでなく,自分の子供にも高い学歴を与えようと努力している。彼らはまさに教育に基づいた階層である。
- 彼らの多くは現在の所属階層は高校時代の所属階層より上がったと考えており,体制の受益者である。この意味でこの層の数的増加は体制の安定化に貢献することと思われる。ただし,近年フィリピンでは社会階層の固定化つまり,上層階層の継承化傾向が強まっているようである。
報告概要
鹿又 伸夫 (慶応義塾大学)
第1報告「明治期における歯科医師参入者の階層構成について」(報告者:押小路忠昭)では、歯科医師を対象に、専門職の階層的開放性を分析した報告がなされた。『日本杏林要覧』などの資料にもとづいて、明治期に歯科医師になった者の出身階層について、「族籍」等に注目した分析がおこなわれた。当時の医師と歯科医師の教育制度や職業アソシエーションの相違に留意した分析がなされた。医師は平民出身者の増大がみられたとする既存研究と対照的に、歯科医師は、統一的な開業試験が実施されながらも、士族出身者の増大がみられ、出身地域との関連もみられたという結果が報告された。
第2報告「労働市場における役職獲得の規定要因-ジェンダー効果の検討」(報告者:村尾祐美子)では、1995年SSM調査(A票)を対象に、はじめての役職獲得に及ぼす影響、とくにジェンダー効果に注目した分析結果が報告された。ジェンダーの中でも、性別としてのジェンダーとともに、「関係としてのジェンダー(垂直的性別職域分離)」に着目し、初職や到達職の女性比率から測定し、イベント・ヒストリー分析をおこなった。その結果、男性の役職獲得について「関係としてのジェンダー」効果がみられ、これを重要な要因として考慮すべき必要が結論として報告された。
第3報告「フィリピンにおける都市新中間層の形成とその社会的性格」(池田正敏)では、既存統計資料、そして報告者が現地で実施した質問紙調査(小学校父兄を対象)から、フィリピン都市部における階層および移動の現状について、とくに新中間層に着目した分析結果が発表された。職業、学歴、所得や移動表の分析から、専門職、管理職などの新中間層が、女性世帯主比率が高いこと、高学歴・高所得であること、上昇移動者が多いことなどの特徴をもち、近年では地位継承傾向がみられ社会階層の固定化も進んでいるとの指摘がなされた。
第7部会:ジェンダーと社会
報告要旨
女子フィギュアにおける「美」の再生産
中川 敏子 (日本女子大学)
本研究の目的は女子フィギュアスケートがスポーツにおけるジェンダーの再生産構造であることを指摘する。フィギュアスケートは近代スポーツが誕生した当初から,競技に対して,男女のダブルスタンダードを有し,現在に至っている。分析にあたり,Jennifer Hargreavesの“sporting females”における身体や女子スポーツ選手に対するイメージに関しての分析を援用し,フィギュアスケートが「女子に相応しいスポーツ」として認識される状況を考察した。女子フィギュアがアメリカにおいて,競技スポーツにおける優位性と女子フィギュアの持つ上品さと華麗なイメージにより,理想化されている。その結果,女子フィギュアの選手でオリンピックのメダリストは「理想の女性」として<価値>を持つ。ただし,女子フィギュアにおける「美しさ」とは既存の女性性を強調したものであり,それがジャッジたちに好まれる。フィギュアが採点競技であるため,ジャッジへの印象を良くすることで,選手たちは自分への評価を有利にする。そのためには既存のイデオロギーを遵守しなくてはならない。この結果,女子選手はジャッジへの印象操作を行い,ジャッジの求める「美」を再生産していく。この「美」の相互作用は競技会の場で行われるため,既存の価値観が助長されやすい構造になっている。またその選手に対する見方にはジェンダーだけではなく,人種のバイアスも多分に含まれていることが明らかになった。
階層再生産におけるジェンダー構造と文化
片岡 栄美 (関東学院大学)
わが国の階層再生産はジェンダー構造をもっている。中学校時代から成人後の地位形成のプロセスを分析すると,学校市場,労働市場,婚姻市場の地位形成段階において,メリトクラティックな選抜と文化的選抜のあり方がジェンダーにより異なっている。男性では,学校システムを経由するメリトクラティックな地位形成が主な地位形成ルートであり,女性では文化資本を経由する文化的再生産メカニズムとメリトクラティックな再生産メカニズムが両方作動する。すなわち女性でのみ,文化資本は社会移動の通貨(文化的再生産プロセスが作動)となる。男性の再生産メカニズムだけでは,わが国の再生産構造の全体像はみえてこない。婚姻を通じて男女の異なる再生産メカニズムが互いに補強しあうことにより,支配階層は社会的再生産と文化的再生産を達成し,ジェンダー・カテゴリーによる再生産の分業構造が存在する。この構造を支えているのは,わが国における文化消費におけるジェンダー差である。男性エリートが文化的エリートとはなりにくい状況のなかで,わが国の文化的同質性神話が作られてくる。また文化のヒエラルヒーとジェンダーの関係について,文化活動のヒエラルヒーを検討すると,歴史的に文化活動に偏ったジェンー・イメージが付与されている。その結果,文化的選好がジェンダーにより異なるとともに,文化がジェンダーを構築し再生産する側面にも検討を加える。
育児期間における労働移動
松村 真木子 (お茶の水女子大学)
女性労働研究は,常勤または短時間労働者として働いている女性の割合が多い業種,職種など労働市場における女性の位置づけを中心課題としてきた。
ところで,定時労働力調査実施時点で調査対象となった労働者は,労働市場の同じ位置に終生居続けるのであろうか。いや,時間の経過と共に何らかの理由で,別の業種,職業,労働形態を選択し労働市場上を移動する労働者も多いだろう。さらに,労働市場から退出参入を繰り返す労働者もいるだろう。従来の定時労働力調査は,登録住所から無作為抽出によって選択された対象者を集団としてまとめ,労働者全体の傾向を分析してきた。しかし,この方法では,時間の経過と共に変化する労働者の移動という視点を導入することが困難であった。
そこで,本報告では,労働市場上のステイタス(業種,職種,労働形態)の移動および労働市場への参入退出の過程を顕すために労働移動という分析視点を提示する。
この視点に基づいて,女性労働者が育児との関連からどのように働く場を選択していくのか,その過程をイギリス特殊労働力調査から実証分析する。
女性労働者は,育児期の労働選択において初職のステイタスに強い影響を受けている。さらに,労働移動という分析視点を導入することで,育児期間における女性労働者の多様性が実証される。
(ところで,イギリス社会は階級社会であると言われており,社会的経済的な分析には職業による階級が重要な指標となっている。しかし,親または夫の職業階層(階級)は,多様な女性労働の現状を把握するのに充分であるとは言い難い。そのため,階級概念を否定するわけではないが,本報告では女性労働の現状を女性個人に付随する変数を基に検証する。)
報告概要
木本 喜美子 (一橋大学)
第7部会「ジェンダーと社会」は三報告がなされた。
第一報告は中川敏子氏(日本女子大学)による「女子フィギュアにおける『美』の再生産」である。中川氏は男性主流のスポーツ界にあって女性が注目される数少ないスポーツとしてフィギュアに注目し,この歴史をたどるなかで,文章化されていないコードの存在に光をあてた。そこではとりわけジャッジの判断基準が「好感度」に依存せざるをえない構造を分析し,女子フィギュアが白人主義による「女性美」を競う「ジェンダー・ゲーム」となっているとした。これに対して,判定基準として中川氏が対比的に論じた「技術力」と「芸術性」とは,実は分かちがたく結びついているのではないかといった鋭いコメントがフロアーから出された。
第二報告,片岡栄美氏(関東学院大学)による「階層再生産におけるジェンダー構造と文化」では,文化消費のジェンダー差とこれを支えるジェンダー・ハビトゥスと構造との関係を解明しようとする報告であった。詳細なデータ分析を通じて,女性では成育過程での文化資本が結婚であれ職業世界であれその社会的地位達成に明確な影響をもたらすが,男性に関してはこの傾向が見られない。したがってハイカルチャー志向の女性,大衆文化志向の男性というかたちで明瞭に分化しており,「女らしさの資本」としての文化的洗練性が女性においてのみ地位アイデンティティの源泉となっていることが提起された。片岡氏はこうして文化的再生産と社会的再生産がジェンダーによって構造化されていることをクリアーに描き出した。フロアーとの討議のなかで,男性が企業社会の大衆文化に染まりゆく構造,あるいはハイカルチャー志向を仮りに持っていても「隠す」仕組みが存在することが日本の特徴であるのではないか,男性内部の世代差はどのようになっているのかなどといった興味深い論点が提起された。
第三報告は松村真木子氏(お茶の水女子大学)による「育児期間における労働移動」は,イギリスにおける第2回 Women and Employment Survey(1995年)を用いて,第一子の出産というイヴェントを経た女性が出産直後の1年以内にどのように労働移動をしているのかを把握しようとするものである。松村氏は,第一子出産後1年以内に就労した女性の特徴を,1970年代から1995年までの4期に時期区分して分析した。それによれば1980年代以降,経済のサービス化の進展,女性の高学歴化,EUの社会憲章批准といった諸要素が作用するなかで,第一子出産後復職する女性の増大,しかもフルタイマー女性の増加傾向,広汎な職業領域にこうした女性が進出するようになっていることが示された。女性の就労動向を把握するさいに,家族変動を視野に入れた分析の必要性がフロアからアドヴァイスされた。
第8部会:エスニシティと文化
報告要旨
少数民族から見た「教育」という選択肢
――タイ北部山岳民族とタイ国民教育を例に
石井 香世子 (慶応義塾大学)
本報告は,国民国家におけるマイノリティー性の創出と再生産が,国家の一方的な意図によってだけではなく,「少数民族」とされる人々と国民国家とのせめぎ合いの中で生じているという例を,提示することが目的である。
具体的には,タイ北部山岳少数民族「チャオ・カオ」とされる人々とタイ国民教育の関係を,現地におけるフィールドワークおよびタイ教育関係者へのインタビュー中心に,資料・文献調査と併せて分析する。
はじめに,タイ北部の都市チェンマイに住む山岳民族出身とされるアポさんのライフヒストリーの中の,「教育」の位置づけから問題提起を行う。
つぎに,タイの国民教育システムと,タイ政府が行っている対「山岳民族」への教育配慮(「伝統・文化」の維持がカリキュラムに含まれている特別コース)を概観する。
そして,「山岳民族」とされる人々の間には,特別コースには関心を示さず,ハンディやコストが伴っても,子弟を「タイ人」の,できるだけ進学競争に有利な学校へ進ませようとする傾向が強く存在することをフィールドワークから明らかにする。
さいごに,こうした“ずれ”の中で,教育を通じて「二流タイ人」としての自己アイデンティティが再生産されていくことが確認される。その結果,教育は一部の競争を勝ち抜くことができる「山岳民族」への機会提供と,その競争を勝ち抜いた人々の脱「山岳民族」指向とそれに基く行動という,マイノリティ性の再生産の場となっているという結論が導き出される。
多文化主義論争における「社会」概念の位置
工藤 義博 (一橋大学)
こんにち,多文化主義が個人の抑圧を帰結する集団権容認への「slippery slope」になるという批判が主流だが,では他者との共存への意志が前提とする「(公共的な)社会」の想定は本質主義批判からいかに自由でありうるか。本発表では,(1)統合論者,自由主義者,文化批判に影響を受けた人類学による多文化主義批判の言説にあらわれた「社会的文脈の貶価」と,多文化主義論者における「社会への期待」とを相照応するものとして検討し,(2)カナダ遺産省(旧多文化主義省)の政策分析を通して,個人権の優先のイデオロギーが国家と社会の相互浸透の現状に即して,換言すれば反差別を顕教,「文化」政策に基づいた繁栄の資源を密教とした多文化主義の現実といかに共振しているかを明らかにする。(3)結論として,法的・道徳的権利の区分が混沌とする政治化した社会において,多文化主義を活かすのは個人権の優越思想や異種混交に基づく批判ではなく,むしろその徹底した「過去志向」化とそのための制度化であることを論じる。
報告概要
加納 弘勝 (津田塾大学)
報告者は二人であったが、参加者は25名から30名であり、盛会な部会であった。
「少数民族から見た「教育」という選択肢」で石井氏は、「山地民」(中国南部からビルマなどの国境にまたがって生活する人々)を取り上げ、かれらの間に「(近代、タイ)教育」を持ち込むことの意味や問題点を検討した。
タイの「山地民」は、1950年代の冷戦構造のなかで、共産主義から防衛するために「創出」され、山地民への教育政策も、50年代、タイ平野部でも教育がそれほど普及していない時期に導入された。70年代になると小学校教育などは、資源開発、社会開発ブームのなかで少数民族の保護という視点から進められた。しかし、教育の目標は山地民の保護から森林資源の商品化に移行し、山地民を「国民」への統合という姿勢も消失した。
山地民への教育として、学生でない多くの人に教育機会を提供するノンフォーマル教育が進められ、少数民族の文化・伝統の維持を目的とし、ローカル・カリキュラムは13%ほどを占めた。しかし、山地民は、教育とは社会的上昇の道具とみなす。タイ人の学校で学ぶことは、山地民にタイ人化をもたらし、「負のアイデンティティ」を再生産する。結論として、マジョリティ、マイノリティ双方に、国民の中の多様性を認めた教育を施すことが望ましいと結んだ。
報告後の議論においても、山地民の教育実態や、双方に多様性を認めた教育について意見交換がなされた。山地民への教育政策は、僧侶が地方に教師として派遣され共産主義対策と同種のものであろう。例えば、50年代の地方対策と70年代の地方政策のなかで「山地民」への教育政策を脈絡付ければ、5万人とあまりに少ない者への教育という、検討の視野も広がるであろう。実態調査もなされており、都市に移動した山地民と故郷の山地民との関連、山地において何が生じているのかなど、地方の総合的分析は興味深い。
「多文化主義論争における「社会」概念の位置」において、工藤氏はカナダを例に「多文化主義の研究は国家政治のあり方」に集中するが、社会の側から逆照射したいこと、多文化主義政策が最初に採用されたカナダの言説と経験を把握し、米国を中心とした多文化主義論争を相対化すること、そのため、社会モデルを想定し政治的な公共文化のあり方の観点から分類することを提案された。自由尊重モデル、政治の優先モデル、これに対して母文化モデルの意義を検討し、多文化主義論争における「社会」概念をまとめた。
政治学上の多文化主義を批判的に整理し、社会の視点を導入しようという興味ある報告であった。フロアからは、RCBB報告など言説に論点が集中し、もう少しカナダの実態と照合させる必要があると意見が示された。また、レジメは16ページに及ぶ大部な論文であった。微妙な論点を展開されるにしても、発見されたことを、レジメという通常の形で提示されれば、その意図も明確になったと思われる。